本記事は、先に掲載した「EUの食品微生物基準を理解する:食品安全基本法から微生物基準規則まで」に続くシリーズ第2弾である。
日本では、食品の微生物規格に一般生菌数や大腸菌群などの指標菌が含まれているのが一般的である。一方、EUでは食品安全基準の考え方が大きく異なっている。EUの食品安全基準は、食品中の微生物基準を食中毒菌(Salmonella、Listeria など)に特化させており、指標菌は「工程衛生基準」に分類されている。なぜEUではこのような基準が採用されているのか。そして、日本とEUの違いにはどのような意味があるのか。
本記事では、2004年のEU食品衛生パッケージの導入を振り返りつつ、「なぜEUは指標菌を食品安全基準から外したのか?」という問いに対し、構造的な背景から明快に解説する。この流れを把握することで、日本の微生物規格の現状と、今後のあるべき姿が浮かび上がってくるはずである。
日本とEUの食品微生物規格の違い
日本とEUでは、食品の微生物規格の考え方が大きく異なっている。
日本では、食品の最終製品に対して一般生菌数や大腸菌群などの指標菌を規格基準として設定するのが一般的だ。一方、EUでは食品安全基準において食中毒菌(Salmonella、Listeria など)に特化し、指標菌は工程衛生基準に分類されている。

なぜ、このような違いが生まれたのか。
本記事では、2004年のEU食品衛生パッケージの導入を振り返りながら、「なぜEUは指標菌を食品安全基準から外したのか?」を解説する。この流れを知ることで、日本の微生物規格の現状がどのようなものか、そして今後どう考えていくべきかが見えてくるはずである。
EUの食品微生物規格の現状
EUでは、日本とは異なり食品安全基準(Food Safety Criteria)と工程衛生基準(Process Hygiene Criteria)の2つに分かれている。
- 食品安全基準(Food Safety Criteria)
→ 消費者の健康に直接影響を与える病原菌を対象とする。
→ 例:Salmonella、Listeria monocytogenes など - 工程衛生基準(Process Hygiene Criteria)
→ 製造工程の衛生状態を監視するために指標菌を使用する。
→ 例:一般生菌数、大腸菌など
この分類により、「食品の安全性は病原菌で評価し、指標菌は製造工程の管理に活用する」という考え方が徹底されている。
基準の種類 | 対象となる菌 | 適用の範囲 | 基準の目的 | リコール対象 |
---|---|---|---|---|
食品安全基準 | サルモネラ、リステリアなど | 流通する最終製品(消費者に届く食品) | 食品に病原菌が含まれないことを保証 | なる |
工程衛生基準 | 一般生菌数、大腸菌、腸内細菌科菌群、黄色ブドウ球菌など | 食品の製造工程 | 製造工程の衛生管理を評価 | ならない |
このように、EUでは食品の最終製品に指標菌を基準として設定することはほぼない。
食品安全基準では消費者に直接影響を与える病原菌のみを対象とし、それ以外の微生物(指標菌など)は、製造工程の管理目的でのみ使用するという考え方が定着している。
例外事例:指標菌が食品安全基準に、病原菌が工程衛生基準に
EUの食品安全基準では原則として病原菌のみを対象とするが、EU規則 (EC) No 2073/2005 の附属書Iでは、二枚貝に対して E. coli の食品安全基準が設けられている。これは、病原性そのものではなく、衛生指標としての役割が安全性評価に適用されている特例である。
また一般に、工程衛生基準では指標菌(一般生菌数や腸内細菌科など)が用いられるが、例外的に病原菌である Salmonella が工程衛生基準の対象となっている食品も存在する。たとえば、牛や豚の枝肉では、Salmonella の検出率が一定の基準を超えた場合、衛生管理の見直しや是正措置が求められる。これは最終製品の安全性というよりも、製造工程全体の衛生状態の指標として病原菌を活用する例である。
📌 EUの基準の特徴
✅ 病原菌(Salmonella、Listeria など)が食品安全基準の中心
✅ 指標菌(大腸菌群、一般生菌数)は原則として工程衛生基準としてのみ使用
✅ 最終製品の検査よりも、製造工程の管理を重視
EUのこの基準は、2004年に導入された「食品衛生パッケージ(Hygiene Package)」によって確立された。
では、なぜEUは2004年に食品微生物規格の大きな改革を行ったのか。次のセクションで詳しく見ていこう。
2004年の食品衛生パッケージ導入:なぜEUは指標菌を食品安全基準から外したのか?
EUでは、2004年に「食品衛生パッケージ(Hygiene Package)」が導入された。これにより、食品安全基準の考え方が大きく変わり、それまで一部の国で食品安全基準として扱われていた指標菌(一般生菌数、大腸菌群など)は、食品安全基準から除外され、工程衛生基準に移行した。
2004年の食品衛生パッケージで何が変わったのか?
変更点 | 2004年以前 (EU各国の旧基準) | 2004年以降 (EU全体の新基準) |
---|
HACCPの義務化 | 一部の国のみ | EU全体で義務化 |
食品安全基準の対象 | 指標菌(大腸菌群など)も含む | 原則、病原菌のみ(サルモネラ など) |
指標菌の役割 | 最終製品の安全基準の一部 | 工程衛生基準に移行 |
なぜ指標菌は食品安全基準から外されたのか?
1️⃣ HACCPの導入により「食品安全基準は病原菌に限定すべき」という考え方が定着
1990年代に発生したBSE(牛海綿状脳症)やダイオキシン汚染などの深刻な食品安全事件は、EUにおいて「最終製品の検査だけでは消費者の健康を守れない」という認識を広める契機となった。これをきっかけに、食品安全管理は従来の「検査中心」から、「リスクの発生を未然に防ぐ」方向へと大きく転換し、HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)の導入が本格化することとなった。
HACCPの基本的な考え方は、まず食品に潜在する健康リスク(ハザード)を特定(HA)し、それを製造工程の中で重要管理点(CCP)として制御することである。この枠組みにおいては、最終製品の検査(=食品安全基準)とは、CCPで管理されるハザード、すなわち病原菌の存在を最終的に確認するための手段であるべきという論理が導かれる。

このように、HACCPの考え方に整合させる形で、EUでは次のような制度整理が進んだ:
- ✅ 食品安全基準(Food Safety Criteria):HACCPで特定された病原菌(例:Salmonella, Listeria monocytogenes など)を対象とする
- ✅ 工程衛生基準(Process Hygiene Criteria):指標菌(例:一般生菌数、大腸菌群など)を対象とし、製造工程の衛生状態を評価する
この方針により、指標菌は食品安全基準にふさわしくないという判断が制度的に確立された。
2️⃣ 指標菌は「食品の安全性」を直接保証するものではない
指標菌(一般生菌数、大腸菌群など)は、製造環境や取扱の清潔さといった衛生状態を間接的に反映する指標ではあるが、食品中に病原菌が存在するかどうかを直接的に示すものではない。実際に、
- ✅ 指標菌の数値が基準を超えていても、病原菌が存在しない場合がある
- ✅ 指標菌が基準内であっても、病原菌が含まれていることがある
という実例が報告されており、指標菌によって食品の安全性を保証することには根本的な限界がある。このため、食品の安全性評価は、リスク評価に基づき、健康影響の大きい病原菌に焦点を当てるべきであるという科学的合意が形成された。

3️⃣ 指標菌は「工程衛生管理」に再配置された
一方で、指標菌の検査結果は、製造工程の衛生管理の状態を把握する指標としては有用である。そのため、EUでは食品安全基準からは外されたものの、工程衛生基準の中で、製造過程の管理・改善のためのモニタリング指標として活用されている。
このようにして、指標菌は「食品そのものの安全性を判定する基準」ではなく、「製造工程の衛生状態を評価する基準」として制度上の役割を移された。ただし、二枚貝の E. coli 基準など、ごく一部の食品については、例外的に指標菌が食品安全基準として引き続き用いられている。
結論: 「指標菌の検査だけでは食品の安全を保証できない」
EUは、1990年代の食品安全危機を教訓に、食品の安全性を「最終製品の微生物検査」ではなく「リスク評価に基づく病原菌管理」と「製造工程の衛生管理」によって確保する方針へ転換した。その結果、食品安全基準は病原菌の管理に重点を置き、指標菌は主に工程衛生基準で運用されるようになった。

EUの考え方:「食品の安全は工程管理で決まる」
✅ 食品の安全性は、最終製品の検査で保証するのではなく、工程の管理によって確保すべき
✅ 病原菌は消費者の健康に直結するため、食品安全基準で厳しく管理
✅ 指標菌は、工程の衛生状態を示すものであり、食品の安全性そのものを保証するものではない
この方針のもと、EUは2004年に食品衛生パッケージを導入し、食品安全基準から指標菌を外し、工程衛生基準に移行したのである。