食品企業で品質管理や微生物検査に携わる担当者にとって、日々向き合っているのは大腸菌群や一般生菌数、あるいはリステリアといった"数字"である。しかし、なぜ私たちは「世界共通の基準」に従うことが当たり前だと考えているのだろうか。
実は、この「各国がバラバラの基準で貿易を妨げてはならない」「科学的根拠に基づく国際共通ルールで取引すべきだ」という思想そのものが、1929年の世界大恐慌、関税戦争、第二次世界大戦という人類史上最大の悲劇への深い反省から生まれたものなのである。
本稿では、大恐慌から第二次世界大戦へと至る悲劇の連鎖という「前史」から始め、戦後の自由貿易体制がなぜ生まれたのか、そしてCodex AlimentariusとWTO/SPS協定がその思想をどう体現しているのかを解説する。食品微生物の専門知識を持っていても、この国際的な枠組みの歴史的背景を理解していなければ「なぜ世界共通の基準が必要なのか」という根本が見えにくい。
“関税の壁”が生まれた日(1929→1930)
1929年の世界大恐慌の混乱の中、アメリカの上院議員 スムート と下院議員 ホーレー は、地元有権者の悲鳴に耳を傾けていた。 「外国の安い農産物のせいで家族を養えない」 「安価な輸入製品に仕事を奪われている」

彼らは「自分の国を、自分の選挙区を守りたい」という一心で、1930年、2000品目を超える輸入品に歴史上類を見ない高関税を課す 「スムート・ホーレー関税法」(Smoot-Hawley Tariff Act)を成立させた。戦略などなかった。これは"国民の悲鳴"を受けて生まれた関税だった。これが、世界を地獄へ突き落とす最初のドミノだった。

世界が怒りの反撃を始める:報復関税という連鎖
アメリカが壁を作れば、相手国の産業は締め出される。当然、政治は反応する。 イギリス、フランス、ドイツ、カナダ……各国がすぐさま「報復関税」を発動。「あちらが壁を作るなら、こちらも作る」と、世界は一瞬で関税の迷路に変わった。貿易は縮み、輸出は減り、信用は冷え、世界経済は凍っていく。

- 貿易は崩れ、輸出は激減
- 世界経済は凍りつき、自由貿易という架け橋は崩落した
国と国のつながりが断たれた結果、世界は「ポンド・ブロック」「円ブロック」といった閉鎖的な 「ブロック経済」 へと分断された。この不信感と孤立が、外交を消し去り、軍事を前面に押し出す結果となった。 「貿易で資源を得られないなら、奪うしかない」──。 1930年の「良かれと思った関税の壁」は、わずか9年後、1939年の第二次世界大戦という「鉄と炎の壁」へと姿を変えたのである。

第二次世界大戦の深い反省:経済の断絶は戦争を招く
戦後の国際社会が共有していたのは、次の単純で強烈な反省である。国同士が経済的に断絶すると、政治的な対立が戦争に発展しやすい。 逆に、貿易で深く結び付いた国同士は戦争を起こしにくい。
これは現在「自由主義的平和論(liberal peace theory)」と呼ばれる考え方である。第一次世界大戦前の"保護主義の連鎖"や、大恐慌後のスムート・ホーレー関税法による高関税政策が各国の孤立化を招き、国際秩序を壊し、第二次世界大戦に向かう土台をつくった――この歴史的教訓は、戦後世界の指導者たちの脳裏に深く刻まれていた。
そのため戦後世界は、戦争を防ぐための仕組みとして、「経済相互依存をつくる=貿易を自由化する」という思想を中心に据えた。

貿易自由化の出発点:まず関税を下げる
この思想を具体的な制度として形にしたのが、1947年のGATT(関税及び貿易に関する一般協定)である(発行は1948年1月1日)。
当時、貿易の障壁の中心は関税だった。そのため、自由化の第一歩は単純である。
- 主要国の関税を引き下げる
- 貿易障壁を段階的に減らす
- 貿易ルールを国際的に整備する
GATTは何度も交渉ラウンドを重ね、1970〜80年代までに主要品目の関税を劇的に引き下げることに成功した。
スムート・ホーレー関税法が引き起こした悪夢を二度と繰り返さないために、世界は関税引き下げという地道な努力を続けたのである。

なぜ1995年にWTO?なぜSPS?
戦後すぐに始まったGATT(General Agreement on Tariffs and Trade、関税及び貿易に関する一般協定)では、ひたすら関税を下げる交渉を何十年も続けてきた。「関税を下げれば自由貿易が進む」というのが合言葉だった。
しかし、関税をいくら下げても、各国は別の手を使って輸入を止めようとした。たとえば「この牛肉は健康に悪い」と言ったり、「この果物は害虫の危険がある」と言ったりする。つまり、“非関税のごまかし”が新たな障壁になったのである。
ちょうどその頃(1989年)、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦終結の流れが加速した。その後1991年にはソ連も崩壊し、世界は「東西に分かれて守る時代」から「みんなで貿易を広げる時代」へ大きく舵を切った。グローバリゼーションの波が一気に押し寄せ、「自由貿易こそ世界のルールだ」という空気が広がった。

この流れの中で、1995年にGATTを発展させてWTO(World Trade Organization)が誕生した。

そしてWTOの誕生と同時に、「食品や動植物の安全規制を勝手な言い訳に使ってはならない。科学的に説明しなければならない」というルールとして生まれたのがSPS協定(Sanitary and Phytosanitary Agreement、衛生植物検疫措置の適用に関する協定)である注)。

注:正確には、このSPS協定は冷戦終結の直接的な産物というより、1986〜1994年のGATTウルグアイ・ラウンド交渉で積み重ねられた議論の成果として結実したものである。冷戦終結は、その流れを後押しした“時代の追い風”と位置づけられる。
たとえで説明すると
関税=入場料
かつては「外国の商品を入れるなら高い入場料を払え」としていた。だが長年の交渉で入場料はどんどん安くなった。

非関税障壁=ケチな口実
入場料が安くなったら今度は「靴が汚いから入場禁止」「服装がよくないからダメ」といった別の理由で入場を拒んだ。

SPS協定=科学的審査員
「その口実は本当に正しいのか?科学的に証明しなさい」と公平な審査員を置いた。これがSPS協定である。

Codexが“最低ライン”になった理由
このとき「科学的に正しい基準」として参照されたのがCodexである。
Codexは1963年、FAOとWHOが設立した国際食品規格委員会によって始まった「食品の法典」である。当初は食品添加物や残留農薬をめぐる国際トラブルを防ぐために策定されたが、各国にとって従う義務はなく、あくまで推奨規格にすぎなかった。
ところが1995年のWTO発足とともに導入されたSPS協定によって状況は一変した。SPS協定は、輸入規制の正当性を「科学的根拠」に基づいて説明することを各国に義務づけ、その際の参照基準としてCodexを位置づけたのである。このとき初めて、Codexは国際貿易において“最低ラインのルールブック”として実質的な拘束力を持つことになった。

この流れで、食品微生物に関する国際的な規格が体系的に整理されたのは1997年である。この年、Codexは初めて「微生物規格基準に関する原則とガイドライン(GL21)」を採択し、食品微生物規格に関する国際的な枠組みを打ち立てた。
その結果、Codexは表向きは任意基準にすぎないが、「Codexに準拠していれば科学的に正当」と認められるため、各国にとって避けて通れない存在となったのである。

さらに、Codex準拠にはもう一つ重要な意味がある。
それは、輸入国が勝手な口実で食品を拒否できない“防御カード”になるという点である。Codexに従って製造された食品は「科学的に安全」と国際的に認められるため、相手国は非関税障壁を理由に排除することが難しくなる。言い換えれば、Codex準拠は国際市場で通用する「ゴールドカード」のような役割を果たすのである。

ALOPとは何か ― 科学と政治の“接着剤”
SPS協定では Codex が国際貿易の「土台」として機能する一方で、各国には「自国民を守る責任」もある。科学だけでは説明できないリスク認識も無視できない。この二つを折り合わせるために導入されたのが ALOP(Appropriate Level of Protection)である。各国は、国民保護のために、科学的根拠を踏まえて一定の自主的基準を設定する権利も認める必要があった。その政治的妥協の産物が ALOP である。
すなわち、Codex は国際的に共有される基準線であり、ALOP は各国が自国民の安全のために、科学的根拠に基づいて定める“許容可能な保護水準”である。この制度によって、各国はCodex基準を下回らない範囲で、独自の安全目標を設定することが可能となる。
ただし上乗せには科学的根拠(リスク評価)が不可欠であり、SPS全体と矛盾してはならない。SPS協定第5条では、ALOPの設定には「リスク評価」が必要であると明記されている。これは危害の性質、暴露経路、影響を受ける集団、費用対効果などを科学的に分析したうえでの政策判断である。ALOPは政治的要素を含むが、科学抜きでは成立しないのがポイントである。

ALOPの例として、例えば、EUは消費者保護を重視するALOPに基づき、鶏肉サルモネラに対し厳しい基準を設定している。このように、Codexだけでは説明できない“国のこだわり”が貿易交渉の現場では頻出する。日本企業の輸出入では、このALOPの読み解きが重要になる。
※本稿では、ALOPが国際貿易の現場で実際に果たしている政治的機能に焦点を当てている。ALOPの本来の目的は、科学的根拠に基づき衛生保護水準を設定することにある。ここで描いた内容は、その制度的な枠組みを否定するものではなく、制度が現場で運用される際に生じる政治的側面を解説したものである。
Codexだけでは収まらない現実:EUとブラジルの対立
ここまでの流れで読者はこう思ったかもしれない。
「なるほど、SPS協定があるから各国は勝手に規格を作って貿易障壁にできない。Codexに沿っていれば国際的に認められるんだね」と。
ところが、現実にはCodexが“万能のパスポート”になるとは限らない。
Codexが数値規格を設けていない領域では、各国の解釈がぶつかり合い、国際摩擦が生じることもある。その典型例が、EUの鶏肉サルモネラ規制をめぐるブラジルとの紛争である。
Codexは、サルモネラについて生の鶏肉に関しては、明確な規格を定めていない。一方、EUは消費者保護を理由に、生の鶏肉に対して Salmonella Enteritidis と Typhimurium の2血清型を不検出(n=5, c=0)とする厳格な規格を導入した(Reg. (EC) No 2073/2005 付属書 I・Row 1.28)。
これに対し、ブラジルやタイなど輸出国は「Codexはそのような規定を設けていない。EUの規制は不必要に貿易を妨げている」とWTOのSPS委員会で繰り返し抗議した。ブラジルはWTO紛争(DS607)で、EUが生鶏肉・一部の肉調製品に適用するサルモネラ基準は不当に貿易を阻害すると主張して協議を要請した(2021年11月)。
これに対してEUは、SPS委員会において「Codexに数値規格が存在しない以上、SPS協定第3.3条は「加盟国が科学的リスク評価に基づいて自国でより厳しい基準を設けることを認めている」と反論。さらに、人のサルモネラ症の大多数を占める2血清型に焦点を当てるのが費用対効果の面で合理的であると主張してきた。
結果として、Codex規格より踏み込んだ規格が武器となり、国際摩擦を生んでいる典型例である。
SPS協定第3条3項のポイント
1️⃣科学的正当化(scientific justification)
- 加盟国は、Codexなどの国際基準より厳しい規制を導入できる。
- ただし、それには 科学的根拠 または 自国が適切と考える衛生保護水準(ALOP: Appropriate Level of Protection) に基づくリスク評価が必要。
2️⃣過度な制限をしてはならない
- より厳しい規制を導入しても、SPS協定全体と矛盾してはいけない。
- つまり「隠れた貿易障壁」にしてはいけない。
冷戦後から今へ
冷戦が終わって「みんなで貿易を広げよう」という時代の産物が、WTOとSPS協定であった。
しかし現在は逆に、トランプ政権下の米国や一部の日本の政党が「WTOを離脱すべきだ」と主張するなど、反グローバリゼーションの潮流も強まっている。
もし仮にWTOの枠組みが揺らげば、SPS協定によって支えられてきたCodex準拠の国際ルールも影響を受ける可能性がある。各国が独自の基準を主張しはじめれば、食品微生物の安全規格もバラバラになり、国際取引に混乱が生じることは避けられないだろう。

まとめ
WTOの発足と同時に導入されたSPS協定は、各国が恣意的に非関税障壁を設けることを防ぐための仕組みであり、その科学的根拠として参照されたのがCodexである。したがってCodexは、自由貿易の中で食品安全を担保する国際的に合意された“基盤水準”であり、国際紛争において「科学的に正当」と主張する拠り所となる。同時にCodexは、輸入食品に対する不当な拒否を防ぐ「ゴールドカード」として機能している。
そして現実には、EUの鶏肉サルモネラ規制をめぐるように、Codex規格より踏み込んだ規格でSPS協定3条の解釈をめぐる争いが生じることもある。Codexは科学であると同時に、国際政治の最前線で用いられる交渉の武器でもある、という事実を私たちは理解しておく必要がある。
付録:馴染みのない用語を覚えやすくしてみよう!
SPSとALOPは食品企業の品質管理担当者にとってもなかなか馴染みづらい概念なので、まずは 性質の整理 → その後にゴロで覚える というステップが非常に効果的だ。もちろん、英語に堪能な読者は英語そのもので理解しておけは問題ない。ただし、日本人だと英語がそのままさくっと出てきにくいから、次のゴロを考えてみた。
SPS協定(Sanitary and Phytosanitary Agreement)の性質
基本的な性格
- 「非関税障壁=ケチな口実」(科学的根拠のない非関税障壁)を防ぐための国際協定。
この性質をもとに覚えやすいゴロにするなら、
SPS →Special Shock
非関税障壁を、special shockでぶっ壊すイメージ

ALOP(Appropriate Level of Protection)の性質
基本的な性格
- 自国を守るためのこだわり基準
- ALOPの本来の目的は、各国独自の衛生保護水準を設定することにあるが、結果としてそれが非関税障壁となりうる。
Aりえない、Luckyな O金、Pケットに
非関税障壁の結果、自国内の産業が国際競争からみたら過度に守られお金が儲かる、というイメージで覚える。

”あり得ないラッキーなお金をポケットに”

※この語呂合わせは、ALOPが実務上、結果として非関税障壁として機能する側面を直感的に理解しやすくするための記憶法である。日本人読者が覚えやすいように工夫したものであり、制度の本来の目的である科学的根拠に基づく衛生保護水準の設定を否定するものではない。
