先週お伝えした、EU各国で発生している乳児用ミルクのセレウス菌毒素(セレウリド)汚染によるリコール事件。 今週、欧州委員会からの要請を受けたEFSA(欧州食品安全機関)が、「迅速リスク評価報告書(Rapid Risk Assessment)」を公開しました。
原文(2026年1月30日発行)を詳細に読み解くと、今回の決定は、「毒素量ベースでの管理」へとパラダイムシフトする重要な転換点になる内容でした。 特に、汚染源の可能性や分析時の技術的注意点にも触れられており、日本の品質管理担当者にとっても見逃せない情報です。速報として解説します。

汚染源は「アラキドン酸」の可能性
まず、なぜ今回リコールに至ったのか。報告書によると、複数のメーカーの製品からセレウリドが検出されましたが、その疑わしい汚染源として「アラキドン酸(arachidonic acid)」が挙げられています。 微量添加される機能性成分であっても、原材料段階での毒素汚染がいかにリスクになり得るかを示唆する事例です。

決定された「急性参照用量(ARfD)」と「ジャコウネズミ」
EFSAの科学者たちは、今回のリスク評価において、乳児に対するセレウリドのARfD(Acute Reference Dose、急性参照用量)を以下のように設定しました。
急性参照用量(ARfD)とは、
24時間以内(通常は単回)に摂取しても、消費者に認められる健康影響を引き起こさないと推定される、体重あたりの物質量である。
• ARfD: 0.014 μg/kg 体重
【算出の根拠】 この数値の導出プロセスが非常に興味深いです。 毒性指標(エンドポイント)は明確に「嘔吐(Emesis)」とされました。使用された重要研究は、1995年のAgataらによる「スンクス(ジャコウネズミ)」を用いた実験です。一般的なマウスやラットは「嘔吐」をしないため、嘔吐反射を持つジャコウネズミのデータが採用されたのです。

EFSAはこの実験データから、嘔吐リスクが10%高まる用量(BMDL10)を 4.2 μg/kg 体重 と算出しました。 そこに、以下の安全係数(Uncertainty Factor: UF)を掛け合わせています。
• 種差(10)× 個体差(10)= 100
• 追加係数(3): 生後16週未満の乳児は代謝機能や腎排泄機能が未熟であるため、さらに安全を見込んで「3」を追加,。
つまり、動物実験の限界値から300分の1という厳しい安全マージンをとって、0.014 μg/kgという値を導き出したわけです。
現場が知るべき「リコール判断基準値(閾値)」
では、最終製品の検査で「どのくらいの数値」が出たらアウトなのか。 EFSAは、乳児が飲むミルクの最大量(体重あたり260mL)などを考慮し、調乳済み(液体)ミルクにおける懸念レベルを以下のように設定しました。
• 乳児用調製粉乳(Infant formula): 0.054 μg/L 超
• フォローアップミルク(Follow-on formula): 0.1 μg/L 超

EFSAがフォローアップミルクの閾値を高く設定しているのは、対象となる乳児(生後16週以降)の体重あたりのミルク摂取量が、新生児より相対的に少ない(140mL/kg)と見積もっているためです。
これまで「菌数(CFU)」で管理していた現場からすれば、この極微量の「毒素濃度」を管理しなければならないというのは、非常に高いハードルと言えるでしょう。
分析法への重大な注意喚起
品質管理担当者として特に注目したいのが、分析メソッドに関する記述です。 報告書では、ISO法(ISO 18465:2017, LC-MS/MS)が推奨されていますが、粉ミルクのような乾燥マトリックスからアセトニトリルで直接抽出しようとすると、「回収率が著しく低くなる(considerably low)」と指摘されています。

正確な結果を得るためには、「事前の加水(hydration)」が不可欠なステップであると明記されています。もし自社で検査をする場合、この前処理を見落とすと「毒素なし(偽陰性)」と判定してしまう恐れがあります。
症状は「嘔吐」だけではない
今回の報告書では、典型的な症状として吐き気)「嘔吐」に加え、下痢も併記されています,。 さらに、重篤な事例として、急性肝不全や脳症(encephalopathy)、多臓器不全に至るケースがあることも、過去の事例(いわゆる「チャーハン症候群」:次記事で解説予定)を引いて警告しています,。

まとめ
今回のEFSAの報告は、以下の3点で我々の業務に直接関わってきます。
1. 原材料管理: 添加物(アラキドン酸など)レベルまで遡ったセレウス菌/毒素のチェック。
2. 毒素基準: 「0.054 μg/L」という具体的な数値ベンチマークの登場。
3. 検査技術: 粉体製品の分析における「加水」の重要性。
今回のEFSAの報告が示しているのは、乳児用粉ミルクという極めてセンシティブな製品分野において、Bacillus cereus の「菌数管理」だけでなく、「セレウリドという毒素」そのものを直接管理対象として捉える必要性が明確になったという点です。少なくとも乳児用粉ミルクとセレウリドの問題に関しては、「菌がいるかどうか」ではなく、「毒が存在し得るかどうか」を問う段階に入ったと言えます。

