以前の記事(シリーズ第2弾、3弾)で紹介したように、EUでは2005年にHACCPを制度の中核に据えた際、各国にバラバラに存在していた微生物規格基準を整理し、病原菌に特化したシンプルな食品安全基準へと再構成した。
一方、日本では2021年にHACCP制度が義務化されたものの、それに合わせた微生物規格基準の見直しは行われず、依然として昭和期に設計された基準がそのまま残されている。
本記事では、HACCP制度だけが導入され、基準が取り残されたという構造的な問題点について、改めて整理しておきたい。その背景や理由を追及するのではなく、現在の制度がどうなっているのか、どこに論理的なズレがあるのかを明確にしておくことが目的である。

前提を整理する —— HACCPと規格基準の原則
以下の内容は以前の記事(シリーズ第2弾、3弾)で詳述したが、本記事の理解にとっての大前提となるため、要点だけを再確認しておきたい。
HACCPが完全に機能すれば、規格基準は不要となる
HACCPとは、製品の安全性を検査ではなく、工程内での管理によって確保するという考え方である。缶詰のように加熱から密封までが完全に制御された製品では、検査も微生物規格基準も制度上存在しない。これは、HACCPが理想通りに機能すれば、規格基準そのものが不要になることを示している。
現実にはHACCPだけで制御できない製品も多い
再汚染の可能性がある食品や、日替わり惣菜のように工程が一定でない製品では、HACCPの設計や運用が難しい。そのため、工程での完全な制御が困難な場合には、検査や規格による補完が現実的に必要となる。
EUは制度をHACCPと整合させて再設計した
EUでは2005年にHACCPを制度化した際、従来各国が独自に持っていた微生物規格基準を整理し、病原菌に特化した(一部例外を除く)食品安全基準へとスリム化した。
同時に、HACCPだけでは管理しきれない工程に対しては指標菌を中心とした工程衛生基準(Process Hygiene Criteria)を補助的に導入している。

ただし、本記事の主眼はこのうちの食品安全基準の再構成にある。
以上、詳しくは、下記記事をご覧ください。
日本ではHACCPが導入されたが、規格基準は昭和のまま
2021年、日本でもHACCPが制度として導入された。
しかし、それに伴う微生物規格基準の見直しは行われておらず、以下のような旧来型の基準構造がそのまま残されている。
- 一般生菌数、大腸菌群、黄色ブドウ球菌などの指標菌を含む基準
- 製品カテゴリやリスク特性に応じた柔軟な設計がなされていない
- 病原菌と指標菌の区別・役割が制度上明確に整理されていない
つまり、制度だけがHACCPに置き換えられ、微生物規格基準は昭和のまま据え置かれている。
この構造が、制度としての不整合を生み出している。

食品安全基準は“必須”の制度基盤である
前回の記事(シリーズ第4弾)では、EUにおける工程衛生基準の制度的役割を紹介した。これは、HACCPの実施が不安定な事業者に対する補助的手段であり、日本で導入するかどうかは現場判断に委ねられる側面がある。
詳しくは下記記事をご覧ください。
しかし、本記事で主題とする食品安全基準(微生物規格基準)はそうではない。これはHACCP制度の中核を支える制度的土台であり、工程管理を重視するHACCPの思想と整合した微生物規格基準が設計されていなければ、制度全体の実効性は損なわれてしまう。
とくに、HACCPの出口戦略として位置づけられるべき規格基準が、導入前の昭和型のまま温存されている場合、最終製品の検査に依存する旧来の発想を制度の中に残してしまうリスクがある。

EUは、HACCP導入にあたり、食品安全基準を病原菌に限定する形で再構成した。
一方、日本では、HACCPの導入は行われたものの、その前提となる規格基準の側は“手つかず”のまま残されている。
ここは、工程衛生基準のように「導入するかどうかを判断すればよい」という任意的判断の領域ではない。食品安全基準の再設計は、制度の整合性を保つための“必須条件”である。

さらに、食品安全基準とは、製品の出荷・流通・輸入の可否に直接関わる制度的な最終判断基準である。この基準がHACCP導入以前の古い設計のままであれば、国際的な整合性を欠き、制度的な摩擦や実務上の障壁が生じかねない。
とくにEUなどでは、「病原菌に対する定量・非検出」基準が明確に運用されており、日本のように大腸菌群注)といった指標菌を基準に含めている場合、輸出手続きや取引条件において支障が出るケースもある。
注)指標菌としての大腸菌群の国際的整合性については別記事で近日中に改めて整理する。
HACCP制度が整備された今、その下支えとなる微生物規格基準をこのまま放置してよいのか。
日本の制度は、HACCPとの整合だけでなく、国際的な基準との整合性という観点からも、見直しが避けられない段階に来ているのではないだろうか。
