乳児ボツリヌス症と聞くと、多くの食品関係者がまず思い浮かべるのは「蜂蜜」でしょう。1歳未満の乳児に蜂蜜を与えてはいけない、という注意喚起は広く知られています。しかし2025年から2026年にかけて、米国で乳児用粉ミルクに起因する乳児ボツリヌス症のアウトブレークが発生し、2026年2月に終息が宣言されました。そして2026年6月、FDAはこの事例の事後対応に関する概要を公表しています。
実は粉ミルクと Clostridium botulinum との関連は、過去にも散発的に報告されてきました。ただし、単一製品に起因する規模のアウトブレークとして確認されたのは、これが世界で初めてのケースです。本稿では、この事例を振り返りながら、芽胞形成菌という観点から食品安全管理上の論点を整理します。
乳児ボツリヌス症の基本:蜂蜜だけではない
乳児ボツリヌス症は、C. botulinum の芽胞を乳児が摂取し、未成熟な腸管内でその芽胞が発芽・増殖して毒素を産生することで発症します。成人や年長児であれば腸内細菌叢が定着しているため芽胞が定着しにくいのですが、乳児の腸内環境はその防御機構が未発達なため、芽胞の発芽と毒素産生を許してしまいます。
症状は便秘から始まり、哺乳力の低下、泣き声の変化、筋緊張低下(いわゆる「フロッピーベビー」)、そして重症化すると呼吸障害に至ります。診断は主に臨床所見に基づき、ボツリヌス免疫グロブリン(BabyBIG)による早期治療が予後を大きく左右します。生存率はおおむね98〜100%とされ、適切な治療が行われれば後遺症もまれです。
感染源として確立されているのは土壌・household dust などの環境由来と、蜂蜜の2つです。蜂蜜はあくまで「唯一の回避可能な食品由来リスク要因」として位置づけられており、実際には多くの症例で感染源は特定されないまま終わります。

📌【補足】なぜ「蜂蜜」だけがこれほど強調されるのか?
よくある誤解として「蜂蜜には特異的にボツリヌス菌が潜んでいる」「蜂蜜自体に特別な危険性がある」と思われがちですが、それは正確ではありません。
- C. botulinum は環境常在菌: 芽胞はもともと土壌や家庭の埃(household dust)など、環境中に広く存在しています。
- 多くの症例は原因不明: 実際の乳児ボツリヌス症の多くは、これら環境由来の芽胞を吸い込んだり口にしたりすることで発症しており、感染源が特定されないケースがほとんどです。
- 「唯一の回避可能な」リスク: その中で蜂蜜は、「人間が意図的に(人為的に)乳児に与える食品」であり、かつ「与えるのをやめることが容易なもの」です。
つまり、蜂蜜に特別な意味があるのではなく、「分かっているルートの中で、人間の行動によって確実に 100% 回避できる唯一の食品由来リスクだから」というのが、注意喚起が徹底されている真の理由です。
粉ミルクとの関連:過去の「疑い事例」たち
粉ミルクと C. botulinum の関連が完全に新しい話というわけではありません。1922年から2020年にかけて、乳児食品を対象とした調査は少なくとも18件実施されており、粉ミルクを含む乳製品からの検出例はほとんど報告されてきませんでした。1980年代の米国での大規模調査でも、脱脂粉乳・エバミルク・缶詰調製粉乳を含む数百検体すべてで陰性という結果が続き(Guilfoyle and Yager, 1983)、この「不検出」という長年の基準が、2025年の発見をより衝撃的なものにした背景にあります。

そんな中でも、2件の「疑い事例」が報告されていました。ひとつは2001年の英国の事例(Brett et al., 2005)です。生後5か月の女児で C. botulinum 型Bによる発症が確認され、開封済みの粉ミルク缶からも同じ型Bの菌が分離されました。パルスフィールド・ゲル電気泳動(PFGE)による解析では、乳児の便と開封済み缶のパターンは一致したものの(Johnson et al. 2005,)、未開封缶から分離された株は異なるパターンを示し、製品そのものが汚染源だったのか、家庭環境での二次汚染だったのかを明確に判定することはできませんでした。
もう一つは中国・北京で報告された事例(Dong et al., 2017)で、乳児の便と残存していた調製粉乳(PIF)から分離された C. botulinum 型B株が、PFGE解析で区別不能なパターンを示しました。
つまり、粉ミルクが C. botulinum の感染源となる可能性自体は以前から指摘されていたものの、いずれも「単発例・因果関係未確定」というレベルに留まっていました。
| 年・国 | 主な所見 | 結論 |
|---|---|---|
| 1922–2020 | 調査18件以上、検出例ほぼなし | 長年「不検出」が一般的 |
| 2001 英国 | 乳児便と開封済み缶で一致 | 汚染経路は不明 |
| 2017 中国 | 乳児便と残存PIFで一致 | 単発例、因果関係未確定 |
2025年ByHeart事例:何が起きたのか
2025年10月、カリフォルニア州のInfant Botulism Treatment and Prevention Program(IBTPP)が、乳児ボツリヌス症が疑われる3名の乳児に共通して同一ブランドの粉ミルク摂取歴があることに気づきました(出典:NEJM Evidence, 2026)。これを契機に州・CDC・FDAによる多州調査が開始されます。

調査が進むにつれて症例の定義が拡大され、最終的に2026年2月26日の終息宣言時点で、17州にわたり48名(確定例28名、疑い例20名)が報告されました(出典:CDC; FDA「調査詳細」)。全員が入院を要したものの、死亡例は報告されていません。
FDAの調査では、製造施設の検査に加えて、原料となる粉乳の供給元であるDairy Farmers of Americaでの調査も行われました。ここで採取された有機全脂粉乳のサンプルから、全ゲノムシークエンシング(WGS)解析により、最終製品サンプルおよび患児の臨床分離株と一致する菌株が検出されています(出典:FDA「事後対応」; FDA「調査詳細」)。
過去の散発例と何が違うのか
ここが今回のポイントです。2001年の英国事例との決定的な違いは、原料(粉乳)から最終製品、そして患児の臨床分離株まで、WGSによって遺伝学的なつながりを一直線に証明できた点にあります。
2001年の事例では分子タイピング(PFGE)の解像度の限界もあり、開封済み容器と未開封容器とで異なる株が検出され、汚染がどこで起きたのかを特定できませんでした。
一方、2025年のByHeart事例では、原料の粉乳ロットと製品ロット、そして発症児の分離株が同一クラスターに属することがWGSで示されています。

FDAの調査ページでは、この事例を「米国で初めて記録された、汚染乳児用粉ミルクに起因するボツリヌス症アウトブレーク」と位置づけています(FDA「調査詳細」)。一方、ReutersはCDCによる終息宣言を伝える記事の中で、FDAウェブサイトの情報に基づき、本事例を乳児用粉ミルクに関連した世界初のボツリヌス症アウトブレークとして報じています(Reuters)。
つまり、過去に粉ミルクとの関連が疑われた単発例はあったものの、公的機関がアウトブレークとして整理した事例としては、きわめて特異なものです。

HACCP・品質管理への示唆:芽胞形成菌という死角
これまで粉ミルクのHACCPにおいて主に警戒されてきたのは、Cronobacter sakazakii と Salmonella でした。両者はいずれも芽胞を形成しない菌であり、適切な加熱処理(パスツリゼーション)で死滅させることができます。FDA自身、2023年3月の業界向け文書(出典: FDA「業界向け文書」, 2023)において、Cronobacter 中心の対応に焦点が当たりがちな中で、C. botulinum を含む既知または合理的に予見可能なハザードについても、粉ミルク製造の管理設計に組み込むべきだと注意喚起していました。今回のアウトブレークは、その警告が現実になった事例と見ることができます。
ボツリヌス菌 のような芽胞形成菌は、通常の加熱処理や乾燥などの過酷な環境条件に耐える芽胞を形成します。そのため、製造工程からの完全な除去は容易ではありません。さらに検査面でも、芽胞形成菌の検査には2週間以上を要することがあり、対応できる検査機関も限られています。
もう一点重要なのは、芽胞の不均一分布です。 ボツリヌス菌芽胞 は粉末中に偏在する可能性があり、同じロットの製品を摂取してもすべての乳児が発症するわけではありません。これは、ロットの一部サンプルが陰性でも、そのロット全体の安全性を保証することにはならないという、サンプリング設計上の重要な示唆を含んでいます。

FDAは事後対応として、原料サプライチェーンを含む根本原因調査の継続、粉乳中の C. botulinum に関するサーベイランス強化に加えて、FAO/WHOの専門家会合(JEMRA)に対し、C. botulinum および Bacillus cereus などの芽胞形成菌について、粉ミルクにおけるリスク評価を実施するよう要請しています。
まとめ
今回の事例から見えてくる教訓は明確です。粉ミルクのハザード分析では、Cronobacter や Salmonella だけでなく、通常のパスツリゼーションだけでは制御しにくい芽胞形成菌についても、原料由来のハザードとして検討する必要があります。ただし、この問題は「最終製品を検査すればよい」という単純な話ではありません。C. botulinum 芽胞が粉末中に低頻度かつ不均一に分布する場合、検査によってロット全体の安全性を保証することは極めて困難です。また、通常の粉ミルク製造工程において、芽胞を確実に死滅させるCCPを設定することも容易ではありません。
したがって現時点での現実的な管理は、原料乳粉のサプライヤー管理、粉乳製造工程の衛生設計、乾燥後の再汚染防止、指標菌や環境モニタリングを組み合わせた、サプライチェーン全体でのリスク低減に置かれることになります。粉ミルクに限らず、低水分の粉末原料を扱う食品企業にとっても、今回の事例は芽胞形成菌リスクを再点検するきっかけになるでしょう。


