数記事にわたり、人に危害を与える食品由来の病原微生物の病原因子は必ずしも人間を標的として進化してきたのではないということを示す研究例をいくつか紹介してきました。今回は、毒素型食中毒菌のセレウス菌の食中毒の原因の毒素、嘔吐毒であるセレウリドについての研究例を紹介します。この毒素セレウリドもまた、ヒトへの感染経路とは無関係な自然界で、他の細菌を攻撃するイオノフォア系の抗生物質として、本来の役割を果たしている可能性を示す論文です。
※セレウス菌の基礎事項を確認したい方は、下記記事をご覧ください。
食中毒菌10種類の覚え方 ⑤セレウス菌
セレウリドの細胞への毒性メカニズムとしては、この化合物がイオノフォアの一種であることに関係します。イオノフォアとは、細胞膜に作用することによってカリウムなどの陽イオンの流入や溶出をひきおこし、細胞に障害を与える作用物質の総称です。セレウリドも代表的イオノフォアです。ヒト細胞に作用し、特にその中のミトコンドリア膜に作用すると、カリウムイオンのバランスを崩します。ミトコンドリアは細胞の呼吸活性を担う大事な細胞内器官ですから、イオンバランスが崩れるとその機能を失ってしまいます。セレウリドの嘔吐活性のメカニズムの詳細は未解明部分が多いのですが、おそらく、上記のようなイオノフォアとしての作用が、特に十二指腸細胞において佐用していると推測されています。
さてここで興味深いのは、セレウリドは環状ペプチドであり、その構造が放線菌の産生する抗生物質のバリノマイシンと極めて似た構造を持っているということです。
だとすれば、セレウス菌は自然界(人間中心の視点でみれば食品中で)で何のためにセレウリドを産生しているのでしょうか?私たち消化管細胞のミトコンドリアに機能障害を起こためとは別の役割があるはずです。この疑問について取り組んだのがオランダ、ワーゲニンゲン大学のテンペラ―博士らです。
博士らは、セレウリドとバリノマイシンの微生物に対しての抗生物質活性を詳細に比較しました。その結果、セレウリドも、バリノマイシンと同様に、リステリア菌やバチルスなど多くのグラム陽性菌に対して抗生物質として作用しました。一方、グラム陰性菌には、作用しませんでした。またアルカリ条件下で特に抗菌物質が強くなることを明らかにしました。
以上の研究結果から、テンペラ―博士らは、食中毒菌の 嘔吐毒のセレウリドの本来の生態学的な機能は、セレウス菌と自然界で競合するグラム陽性菌を駆除するために使われているのではないかと推測しています。なおアルカリ条件下で抗菌作用が強くなったという点については、その生態学的な目的は不明でした。ただセレウス菌と遺伝学的に同種と考えられているバチルス・チューリンゲンシス(B. thuringiensis)(微生物殺虫剤として用いられる)が作用をする昆虫の腸内はアルカリ環境であるという点を考慮すると、今後、セレウス菌の生態とセリウリドの役割を考える際に何らかのヒントになるのではないかと推察しています。
以上、ここ数記事に渡り、病原微生物の人間に対する病原遺伝子が必ずしも人間を標的として進化してきたものではないことの例を見てきました。微生物学の歴史はパスツールやここ以来わずか130年余りであり、その間、私たちは人間を中心とした微生物の研究を行なってきました。その結果、これらの病原微生物が人間を標的として色々な遺伝子を進化させているというような錯覚に陥ってしまいます。ここで紹介してきたような研究は、人間はあくまでも自然界の進化に中においては新参者に過ぎないということを認識する必要を示しているように思います。おそらく、コロナウイルスと人間との関係についても同様な推察が可能なのでしょう。
論文→ Comparative Analysis of Antimicrobial Activities of Valinomycin and Cereulide, the Bacillus cereus Emetic Toxin
APPLIED AND ENVIRONMENTAL MICROBIOLOGY, Apr. 2011, p. 2755?2762
この論文はPubMed Central(PMC)で無料公開されています。
※この記事は公益社団法人日本食品衛生学会の会員限定メールマガジンで私が執筆した記事を、学会の許可を得て、メルマガ発行以後1年以上経ったものについて公開しています。ただし、最新状況を反映して、随時、加筆・修正しています。