コレラ菌はグラム陰性の水生菌で、動物プランクトン(貝類やエビなどの甲殻類の幼生)のキチン質外骨格に付着した環境で多く観察されています。このような動物プランクトンにコレラ菌が付着して生息している理由として、付着表面の環境が多くの栄養素に富んでいるでことと、様々な環境ストレスからコレラ菌を保護する役割の2つが想定されています。 この記事では、コレラ毒素の遺伝子が元々はヒトへの感染経路とは無関係にコレラ菌自体が自然生態系で生き残るために用いている可能性を示す論文を紹介します 。

 前記事で、人間とは無関係の深海環境に生息するビブリオがヒトへの病原性類似遺伝子を保有していることを紹介しました。私たち人間は、微生物の病原因子の遺伝子は微生物が人間を攻撃するために発達させた遺伝子だと思い込みがちです。しかし、微生物の視点から見ると、これらの病原因子の遺伝子は元々人間に対して作っているものではなくて、微生物自身が生態系の中で生き残るために使ってきた遺伝子である可能性が高いという視点が必要です。前記事でも述べましたが、微生物の歴史33億年ととらえると、地球生態系におけるホモサピエンスの出現は12月31日の夜の10時20分という時刻になります。微生物の歴史のがずっと長いのです。

 コレラ菌をヒトが摂取すると、下痢性疾患コレラを引き起こします。このような下痢は、腸上皮細胞に対するコレラ毒素の影響の結果です。コレラ毒素が、腸上皮で臨床症状を引き起こすのに十分な量生産されるためには、まずはコレラ菌そのものが小腸に定着する必要があります。米国ダートマス医科大学院のカーン博士らは、ヒトの腸管上皮細胞に定着する因子と、動物プランクトンの表面に定着するための因子に共通性があるのではないかという仮説を立てて実験を行いました。その結果、博士らは、ヒトの小腸上皮細胞と動物プランクトンの表皮のどちらにも存在する糖に対して、効率的に付着をするコレラ菌の産生するタンパク質の特定に成功しました。

コレラ菌と甲殻類とヒトの腸

 博士ら、まず、コレラ菌の腸内定着に関与するタンパク質を特定するために、腸管上皮細胞付着因子を欠くコレラ菌変異体を作りました。 付着能力を失ったコレラ菌の変異株の遺伝子を調べると、キチナーゼをコードすると予測される遺伝子がトランスポゾンの挿入により破壊されていることが分かりました。 コレラ菌は、唯一の炭素源としてのキチンの存在下で成長することができ、キチナーゼとキチン結合活性を持ついくつかのコレラ菌タンパク質が報告されています。 以前に分離されたキチン結合活性は分子量が53 kDaであり、また、博士のが今回同定した腸管上皮細胞への付着因子としてのタンパク質pGbpAもまた分子量が53 kDaあることから、両者は同一タンパクであると推定しました。

 つぎに博士らは、博士らが同定した人の腸管上皮細胞への付着因子としてのタンパク質pGbpAが、動物プランクトンへのコレラ菌の付着においても同じ役割を果たしているのかを調べることにしました。ヒトの腸管上皮細胞への付着能力を失ったコレラ菌変異株を動物プランクトンと一緒に培養し、動物プランクトンへの付着を蛍光顕微鏡でカウントしました。 その結果、ヒト腸管上皮細胞への付着能力を失ったコレラ菌変異株は動物プランクトンの外骨格への付着は野生型と比較してほぼ10倍の減少を示しました。

 これらの実験結果により、水生生態系における動物プランクトンへの細菌の付着およびヒト腸管上皮細胞におけるコレラ菌のコロニー形成におけるGbpAの役割は同一であると結論されました。

 博士らは、このようなコレラ菌での発見から、人の病気を理解するために研究されてきた他の「毒性因子」も、本来は水生生態系において重要な役割を担っている可能性が高いと推測しています。

この論文は2005年に出版され、これまでに213回引用されています(2021年10月Scopus調査)。

論文→ A colonization factor links Vibrio cholerae environmental survival and human infection
Nature. 2005 Dec 8;438(7069):863-6.

※本論文に関連が深い論文として、病原ビブリオ(腸炎ビブリオ、コレラ菌)の病原遺伝子が、ヒトへの感染経路と無関係な深海熱水噴出孔で進化した来たことを示す論文は下記です。
腸炎ビブリオ菌やコレラ菌のヒトへの病原性を特徴づける遺伝子はヒトへの感染経路とは無縁の深海熱水噴出孔で進化した?

※この記事は公益社団法人日本食品衛生学会の会員限定メールマガジンで私が執筆した記事を、学会の許可を得て、メルマガ発行以後1年以上経ったものについて公開しています。ただし、最新状況を反映して、随時、加筆・修正しています。