大学で食品微生物を教えていると、毒素型食中毒細菌はなぜ人間にとっての毒を出すのか?大腸菌O157が牛の腸内にいても牛は健康なのに、人間だけなぜ感染を起こすのか?などの質問を受けることがある。食品微生物学という人間中心の学問を学んでいると、病原微生物が人間に戦いを挑んでいるかのような視点になりがちである。しかし地球生物学の観点からは、人間を中心として微生物を見る見方は間違いである。この記事では微生物と人間との関係について、地球上の微生物の歴史の観点から整理してみたい。

人間に挑みかかる微生物

なぜ大腸菌O157は牛には感染せず人間だけを攻撃するのか?

 冒頭にも記載したが、大腸菌O157は牛の腸内の中にいても、牛は健康でいられるのに、なぜ人間だけは重篤な胃腸炎をおこすのだろうか?サルモネラやカンピロバクターが鳥の腸内にいても、なぜ鳥は病気ならないのか?なぜ人間だけなのか?これらの病原細菌はは人間を標的として、悪意をもっと攻撃してきているのだろうか?

 

大腸菌O1157はなぜ牛には感染しないの?

 しかし、このように人間と微生物の関係を人間中心で考えるのは、地球全体の生物学の視点からは間違いである。

人間中心に微生物学を考えるのは間違い

微生物の歴史を一年に例えると、人間が誕生したのは大晦日の夜9時

 まずは、微生物を理解するために地球の生命の歴史を見て見よう。生命は地球上38億年前に誕生した。無生命状態で化学的進化が行われていた地球上において、DNA がリン脂質二重膜で囲まれて初めて生命活動が始まった。つまりここで、今の細菌の先祖である原始的な細菌が誕生した。DNAが直接リン脂質二重膜で囲まれてできているという細胞構造、をすなわち原核生物のこの構造は、原始細菌から今の細菌に至るまでほとんど変わっていない。

地球に最初の生命が誕生したのは38億年前

 さて、ここで、微生物の38億年の歴史を1年に例えてみよう。

 初めての原始細菌が誕生したのを1月1日とすると、光合成を行う藍藻類が登場したのは4月9日頃になる。 そして真核生物が誕生したのが6月頃である。 魚類が誕生したのが11月の初旬であり、生命が陸上に上陸したのが11月下旬である。そして恐竜時代は12月の10日前後ということになる。

地球生命体の歴史を一年に例えると

 哺乳動物のネズミが誕生したのは、およそ6000万年前である。一年で例えると、12月25日朝10時となる。牛や豚の祖先が出現したのはおよそ5400万年前なので、12月25日夜中の24時となる。

 さて人間はいつ誕生したのか?

 人間の祖先は100万年前に出現しているので、12月31日夜21時20分になる。つまり大晦日の夜だ。

哺乳動物が誕生したのは12月25日。人間が誕生したのは大晦日。

 さらに、1世紀は細菌の歴史を1年に例えると1秒にしかならない。私たち人間が人類の歴史の大半と考えている20世紀は、カウントダウンの20秒にしか相当しない。

西暦2000年はカウントダウンの20秒

 このように生命の歴史を見ていくと、人間は微生物の長い歴史の中でごく最近に出現した新参者に過ぎない。私たち人間は地球上の生命が全て人間を中心に生きていると考えがちであるが、そもそも微生物は、地球上において、人間などを眼中においていないということが分かると思う。

 ここで、微生物たちを、高校に通っている高校生と例えて見よう。微生物たちが大晦日に一年を振り返り新入生の噂をしいる。それは5月頃に転入してきた真核生物の話かもしれない。あるいは、12月に転入してきた恐竜の話かもしれない。しかし人間は大晦日の夜の9時に出現しているので、微生物たちは、そもそも人間の存在にすら気づいていないかもしれない。

微生物たちは人間が登場したことにすら気づいていないかも?

 このように考えて行くといかに人間中心に微生物学を捉えることが偏った見方であるということが理解できると思う。

毒素型食中毒菌の毒素の標的は人間ではない

 以上見てきたように、微生物にとって人間の存在は、ほとんど気が付かないほど新しい存在と言える。

 ではなぜ毒素型食中毒菌は人間に危害を加える毒素を産生するのか?私は学部学生への授業中に、なぜ毒素型食中毒菌はは毒素を産生するのかとの質問を投げかけたことがあった。1人の学生が、微生物が人類文明に対して復讐をしようとしているのだと答えた。人間中心に微生物を捉えているので、このような誤った視点を持ってしまう。

 そもそも微生物に限らず全ての生物の生命活動の目的は、自分の種の個体群量を拡大することである。 わかりやすい例で言えば、2000年に日本の食中毒史上で最大規模の黄色ブドウ球菌食中毒が起きた。牛乳そのものはミルク会社によって殺菌されていた。すなわち牛乳の中には生きた黄色ブドウ球菌は存在していなかった。ミルク中にエンテロトキシンだけが残っていていた。 このようなケースの場合、 人間が大規模な食中毒で苦しむことは、黄色ブドウ球菌の個体群を拡大する戦略ににとっては何の意味も持たない。なぜならば黄色ブドウ球菌自身はとっくに死んでいるのだから。

毒素型食中毒菌は人間を標的にしているのではない。

 代表的な毒素型食中毒菌として、もう一つを考えてみよう。ボツリヌス菌はなぜボツリヌス毒素を出すのか? ボツリヌス毒素は人間の神経細胞が麻痺だけに限らず、鳥類など脳神経細胞を麻痺させる。時々湖の湖畔などで何羽も鳥類が死んでいることがある。これは鳥たちが魚の死骸を食べることによって起きる。酸素のない死んだ魚の腸や肉の中ではボツリヌス菌が増殖し毒素を産生する。そのような状態の魚を飛びが食べることによって、 鳥がボツリヌス中毒になると考えられる。しかしこの場合についても、 ボツリヌス菌はなぜ毒素を死んだ魚の中で生産したか?ボツリヌス菌は鳥が魚を食べることを予測していたのか?そうだとして、ボツリヌス菌が鳥を殺す必要があったのか?ボツリヌス菌の目的が彼らの個体群をを増やしていくだけだとするならば、 彼らは鳥を殺す必要はないかもしれない。鳥も人間と同様に二次的な被害者であって、ボツリヌス毒素の本来の標的ではない可能性がある。現在の科学では、実は、この点については明確な回答があるわけではない。

 いずれにしても、ここで言えることは毒素型食中毒と人間が食品微生物学で分類している病原菌は、必ずしも人間を標的しているわけではないということだ。微生物の地球上での長い歴史上で、何らかの生存上の目的があってこれらの毒素を作り出している。これをたまたま人間が食べて病気になっていると考えればよいだろう。

 実際のところ、毒素型食中毒菌セレウス菌の作るセレウリド毒素は、本来は微生物同士の競合のために使われている抗生物質であるということを示す論文がある。下記の記事をご覧いただきたい。
セレウス菌食中毒の原因の毒素(嘔吐毒)セレウリドの本来の目的はイオノフォアとしての抗生物質

感染型食中毒菌の標的も人間ではない

 さて、次に感染型食中毒菌について考えてみよう。微生物が宿主に感染するということは微生物の個体群の増加戦略の一つとして整理できる。では、なぜ大腸菌 O 157が牛には感染せず、人間だけに感染を起こすのか?同様に、なぜ、サルモネラやカンピロバクターが人間には感染するが鳥には感染しないのか注)

注)サルモネラは親鳥の体内に入っても、感染はほとんどおこさない。しかし、鶏の体調によっては感染を起こす場合がある。このことについては別記事点まとめてあるのでご覧ください。
養鶏場のストレス環境と鶏のサルモネラ菌感染の関係

 また、カンピロバクターは鳥類の感染は知られていない。しかし、極めてまれに感染症状を起こすとの報告もある。このことについては別記事をご覧ください。
鶏もカンピロバクターで下痢をすることがある

 この問いに対する回答も、上述した地球上における微生物の歴史と人間の歴史の対比の中で考えてみるわかりやすい。微生物と牛や豚との付き合いは人間との付き合いよりも古いのだ。

 病原体と宿主との拮抗作用は、第一次世界大戦の塹壕戦のような、膠着状態にあるとみても良いかもしれない。第一次世界大戦直前に機関銃が発明された。その結果、部隊の突撃攻撃は危険な行為になった。部隊が突撃すれば機関銃によって全滅してしまうからだ。その結果、どちらの側も塹壕を堀り、そのなかで戦うこととなった。その結果、どちら側も簡単に勝利することはきわめて困難になった。戦争が長期化した。このように、相方がそれぞれの対抗手段を開発することにより、どちらか一方的に勝者になることがなくなる。病原性大腸菌と牛との関係もこのように整理することができるかもしれない。

第一次世界大戦の塹壕戦と病原菌と宿主の関係は似ている。

人間と微生物の出会いは、微生物長い歴史からからしてみれば、突然の出合いである。両者が初めて出会った場合には、互いのことをよく知らず、片方が一方的な勝利を得る可能性がある。

突然出会ってしまった微生物と人間

微生物が人間のからだに侵入すると、人間の体ががこれらの微生物に対して準備ができておらず、これらの病原菌によって一方的な突撃を受けてしまい大きな被害を被るのと考えればよい。

微生物は一方的に人間を攻撃する

しかし、人間も免疫機能発達させて、その微生物に対する抗体を準備し始める。一方で、微生物は宿主の免疫攻撃から逃げるために変異を起こす。

※微生物が宿主の体内で変異して行く仕組みについては、ノロウィルスを例にとって別の記事に詳しくまとめてていますので、興味のある方は御覧ください。
ウィルスの変異株は免疫力が低下した回復の遅い感染者で出現しやすい

宿主はさらに新しい抗体を作り出す。その戦いが長引いていくと、どちらか一方が一方的な勝利することは難しくなっていくる。牛と大腸菌 O 157の関係や、鶏とサルモネラ or カンピロバクターとの関係は、塹壕戦でどちらもが一方的に勝利することができない状態と同じと理解するとよいだろう。

人間も微生物に反撃する

 したがって、大腸菌O157、サルモネラ菌、カンピロバクターと人間の戦いは、進化の将来的には、牛と大腸菌 O 157の関係、サルモネラ菌やカンピロバクターと鳥類の関係のよう落ち着いていく可能性がある。 2020年から2022年に出現中の新型コロナウィルスと人間の関係も長期的には恐らくこのような流れで落ち着いていくだろう。

 このように、病原微生物と人間の関係を捉える場合には、地球上の生物の進化という大きな観点から見ると、人間中心の偏った見方ではなく、正しく捉えることができるのではないかと思う。

たった150年の歴史しかない微生物学が明らかにしたこととは?

 さらに付け加えると、私たちが微生物学を学んでいるのは約150年間である。微生物学はおおむね次のような展開で発展してきた。

  • 食品微生物醸造分野のフランス人のパストゥールが白鳥の首フラスコで自然発生説を否定し、微生物学を創始した。
  • 隣国ドイツ人の医学研究者であるコッホがパストゥールの発見を利用して、それまで謎の病気と考えられていたさまざまな病気の病原微生物の純粋分離法を発見した。そしてさまざまな病気の原因が実は微生物であることを明らかにした。これによって医学はドイツにおいて、その後大いにに発展した(医学書の原著がドイツ語であるのはコッホのおかげである)。
  • 1920年代に英国人のフレミングが抗生物質を発見した。これによって、さまざまな病原菌を退治することが可能となった。

 このように、微生物学が最初に誕生したのは食品微生物学分野(パストゥール)ではあったが、150年間の微生物学の流れは、こ医学微生物学を中心に発展してきた。もちろん、醸造学などの微生物学も同時に人間を中心として発達してきてはいる。しかし、これもあくまでも人間の視点を中心とした微生物学である。

微生物学の歴史はわずか150年しかない。

 わずか150年の微生物学の歴史においては、人間にかかわらない他の生物と微生物との関係についてはほとんど研究されていない。人間にとって大切な家畜の病原菌については研究されているが、人間にとって全く無関係な生物同士の病原菌の問題などはほとんど研究されていない。例えば、ゴキブリにもいろいろな病気があるかもしれない。今これらについて研究したいと研究費を申請しても、世界中のどのような研究機関でも研究費はおりないだろう。イグノーベル賞の対象となるような研究サイエンスとして非常に興味深いのだが、残念ながらなかなか研究費を獲得することは困難だ。

 つまり本記事の本来である病原微生物は人間に挑戦をしているのか?という問いに関しては次のように回答することができる。

  • 人間を中心に、人間に関係する微生物の研究しかしていないので、そのように見えるかもしれない。しかし、実際のところは、人間はこれらの微生物に、どさくさに紛れて攻撃されているだけで、これらの微生物にはほかのターゲットがあるかもしれない。このことは私たちは研究していないのでわからない。
ゴキブリのさまざまな感染症を研究する研究者はいない。

 人間にかかわらない微生物同士の病原菌の問題を扱った論文もわずかながら存在している。それらについては下記の記事でも紹介しているので、興味のある方は御覧いただくとよい。これらの記事を読むと、人間中心の視点から少し解放されるかもしれない。