1977年以降に認識された食中毒細菌の歴史シリーズ3記事目の本記事では、ノロウィルスに焦点を当ててお届けします。1972年には既に胃腸炎の原因として知られていたノロウィルスですが、2002年に新属名として国際的に認知され、食中毒統計や論文で取り上げられるようになりました。この記事では、ノロウィルスの発見と研究史を解説します。

1972年

 感染性胃腸炎の原因としてウイルスの研究は1972年に遡ります。当時、アルバート・カピキアン博士は、米国NIHに勤務していましたが、サバティカルを利用して6か月間の英国滞在中に、スコットランド人女性研究者であるジューン・アルメイダ博士の免疫電子顕微鏡の技術を学びました。アルメイダ博士は、コロナウイルスの電子顕微鏡写真撮影に世界で初めて成功した画像・識別診断のパイオニアでした。

 カピキアン博士は、ノロウイルス発見前後のこの分野の研究の様子を語った論文が出版されています。

Kapikian A.Z. The discovery of the 27-nm Norwalk virus: an historic perspective. J Infect Dis 181[Suppl.2] S295-S302 (2000)

この論文では、感染性胃腸炎の原因としてウイルスが疑われた初期の研究や、免疫電子顕微鏡の技術の発展、そしてノロウイルスが発見されるまでの歴史が詳しく紹介されています。

カピキアン博士の回想

 1970年に、原因不明の胃腸炎の解明を目的に、CDCのドリン博士らのグループが4つの別々の胃腸炎の発生患者由来の糞便サンプルを使用した再感染ボランティア実験を実施しました(論文は翌1971年に出版されました)。

Dolin R. et al. Transmission of acute infectious nonbacterial gastroenteritis to volunteers by oral administration of stool filtrates. J. Infect. Dis., 123, 307–12 (1971).

 このうち、1968年10月にオハイオ州ノーウォークの小学校で発生した胃腸炎事例で採取されたサンプルが1つでした。この事例では、2日間の間に生徒と教師の50%(116/232)が胃腸疾患を発症し、一次症例の接触者の間で32%の二次発病率がありました。

米国オハイオ州norwalkの小学校で発生した胃腸炎。

 ドリン博士らは、ノーウォークで発生した二次症例から直腸スワブ標本を採取し、2%のろ液を調製しました。そして、3人のボランティアに経口投与しました。そのうち2人は胃腸炎を発症しました。この培養のろ液は、その後のボランティアの連続投与においても、連続的に胃腸炎を発症させました。しかし、病原体の特定を試みるために細胞培養または器官培養を行いましたが、失敗に終わりました。

ボランティア実験で病原体の存在が疑われるが、分離培養ができないと悩む博士。

 一方、私は当時(1970年)、英国に滞在しており、6か月間アルメイダ博士のもとで免疫電子顕微鏡の手法を学んでいました。この手法を用いることにより、抗体でコーティングされた大小の凝集体の形で現れ、背景からはっきりと目立ち、ウイルス粒子であることに疑いの余地がない物体を確認できました。英国で免疫電子顕微鏡法の鋭敏な観察の威力を目の当たりにし、これまで培養不能だったウイルスの検出を可能にするかもしれないと思いました。 

電子顕微鏡のすごさに驚くカピキアン博士

 そこで、帰国後、私はドリン博士らが感染性病原体の培養に失敗していたノーウォーク胃腸炎サンプルに取り組むことにしました。以前行われていたボランティアの回復血清を抗体源として、ノーウォーク胃腸炎の便ろ液を調べました。このろ液は、10人のボランティアのうち6人に下痢性疾患を引き起こしたため、感染性病原体を含むことが知られていました。ボランティアの回復血清と便ろ液を培養し、電子顕微鏡で観察すると、ライノウイルスに似た、エンベロープを持たない、抗体でコーティングされた27nmの小さなウイルス様粒子の輝く凝集体を観察することに成功しました。

電子顕微鏡で胃腸炎患者からウイルス用粒子を発見し驚くカピキアン博士

 しかし、この発見の重要性を判断するには、さらなる研究が必要であることは明らかでした。なぜなら、目前のウイルス粒子は、ノーウォーク胃腸炎の発生とは無関係なウイルスがたまたま免疫電子顕微鏡法により検出されてしまったのだけの可能性はないか?免疫電子顕微鏡法によって視覚化された27nmの粒子に対して、チャレンジテスト後に病気になったボランティアが血清学的反応を示すことが、最終的な証明には不可欠でした。しかし、培養ができていないウイルス粒子でこれをどのように行うかが問題でした。  

慎重な態度を取るカピキアン博士

 そこで、チャレンジ前またはチャレンジ後の血清の低希釈(1:5)をノーウォークの便ろ液と反応させて、免疫電子顕微鏡法による検査を行う抗体評価システムを開発しました。その結果、詳細は省略しますが、チャレンジ後に病気になった4人のボランティアは、27nmのノーウォーク粒子に対する血清反応を示し、この粒子が胃腸炎の原因であることの有力な証拠を提示することができました。 

免疫電子顕微鏡でウィルス粒子を血清反応を行った

以上要約

カピキアン博士の功績

 その後、この顕微鏡写真のウイルスは、もともとのウィルス由来の地名にちなみノーウォークィルスと命名されました。すなわちこれが現在のノロウィルス(genotype Ⅰ型)です。またこのウィルスは 、ウィルスの形態学的特徴(小さくて、丸くて、構造化されている)からsmall rouded structured virus(SRSV)とも命名されました。

SRSV

 なお、カピキアン博士は、その後、乳児下痢の最も一般的な原因であるロタウイルスに関しての最初の認可ワクチンを開発にも成功し、胃腸炎ウィルス研究の父とも呼ばれるようになりました。

1972年以降の20年間

 1972年以降の約20年間は、SRSVもしくはノロウイルスとしての研究報告が細々と出版されている時代が続きました。下に示すグラフは、ノロウイルスとSRSVの2つのキーワードを合算した論文数を示しています。ただし、この時期の年間の論文数は20論文程度にとどまっています。 

ノロウイルスの論文数の推移グラフ

遺伝子解析元年の1993年

 ノロウイルスの研究が次に急速に進展するする契機となったのは、1993年です。

 まず、1990年にベイラー医科大学のエステス教授の博士研究員のジアング博士によって、ノーウォークウイルス(現在のgenotyeⅠ)の遺伝子のクローニングに成功したことが報告されました。

Jiang X, et al., Norwalk virus genome cloning and characterization. Science, 250, 1580-1583 (1990).

 ジアング博士はさらに1993年にクローニング遺伝子をもとにノーウォークウイルスの全塩基配列を決定しました15)

Jiang X. et al., Sequence and genomic organization of Norwalk virus. Virology 195, 51-61 (1993).

 また、同じく1993年には英国サザンプトン大学のランバーデン博士 によてノーウォークウイルス様ウィルス(NLV、現在のgenotypⅡ)の全塩基配列が決定されました。

Lambden P.R. et al. Sequence and genome organization of a human small round-structured (Norwalk-like) virus. Science 259,516-519 (1993).

ノーウォークウィルス全塩基配列の決定。

 このように、ノロウイルスの2つの代表的なgenotypeの全塩基配列が明らかにされたことによって、PCR検出の基盤が整いました。1993年から2000年までの時期の文献を調べてみると、これらのウイルスを標的としたPCRに関する論文が1994年から出版され始め、1996年には13論文報告されています。

 しかし、2002年以降のノロウイルスに関する爆発的な論文数と比較すると低調であったと言わざるをえません。この理由として、基準株での全塩基配列こそ明らかになったものの、ノロウイルスの遺伝子変異が多様であること、PCRの標的領域となるような保存領域が少ないことなどから、実用的に利用できる有効なPCR系の確立が困難であったことが考えられます。 

そして2002年(ノロウィルス元年)

 そして、時は2002年。この年の8月、第12回国際ウイルス学会(パリ)において、"Norwalk"の"Non"にウイルスの属名の接尾語である"virus"を、ラテン語文法に従って連結型"O"で連結したものを学名として採用することとなりました。その後、各国の衛生機関においてノロウイルスが正式名称となり、検査数が急激に増加しました。

2002年パリのウイルス学会で正式にノロウィルスが誕生した。

 また、RNA逆転写反応とその後のPCRが合体した反応型を用いたノロウイルスの検査法が開発され、これにより利便性が向上し、検査時のコンタミネーションのリスクが著しく減少しました。この技術が普及するにつれて、ノロウイルスに関する論文の数も急激に増加し、現在に至っています(上のグラフ参照)。

ノロウイルスの簡便pcr法の確立

2002年の日本

ノロウィルス元年となった2002年は、日本では、小泉首相の初の日朝首脳会談、日韓共催 W杯、ノーベル物理学賞に小柴昌俊氏、化学賞に田中耕一がそれぞれ受賞した年です。

3部作を締めくくるにあたって

 本3部作では、1977年以降に主役として出現した3つの食中毒微生物の登場経緯について振り返ってきました。今後30年以内には、また新たな食中毒微生物が登場するかもしれません。現在でも原因不明の下痢や感染症や発熱が残っているため、これらの原因が今後解明されることを望みます。また、食中毒微生物ではありませんが、2020年に登場した新型コロナウイルスのように、これまで人類が経験していなかったような新たな病原微生物が地球上に出現する可能性があります。人類がこれらの諸問題や新たな脅威の解決に貢献することを望み、本シリーズを締めくくります。 

※この記事は、公益社団法人日本食品衛生学会の特別企画「日本食品衛生学会創立60年を迎えて」に私が寄稿した記事(2020年)を、ブログ用に大幅に加筆修正したものです。