微生物の増殖および死滅とpHの関係

 この記事では、微生物の増殖および死滅に与えるpHの影響、有機酸による抗菌作用のメカニズムについて説明する。日持ち向上剤と保存料の違いを、酢酸ナトリウム、プロピオン酸、ソルビン酸を例に挙げて、説明する。 また、胃の重要な役割として、胃酸による感染型食中毒細菌の殺菌の働きについても述べる。 また、食中毒菌の酸への強さの違いは、食中毒細菌の最小発症菌数にも関係 することを説明する。最後に、そもそも、 食中毒細菌は酸に弱いという特徴を持つ から食中毒菌なのだとういうことも説明する。

微生物の増殖制御におよぼすPHの影響

  微生物の増殖とpHの関係については、もちろん、微生物によって異なるが、大まかに理解するために、 pH5.0という数字を頭に入れておくと便利である。

 一般的には pH が6.0より上では微生物の増殖を抑制することはほとんどできない。これまで私が食品企業とおこなってきた増殖制御実験における経験では、多くの場合、 pH を6.0程度に下げたとしても、微生物の増殖はほとんど抑制されない。 pH を6.0以下にすると微生物の増殖の段階的に抑制されていく。しかし、pH 5.0以上では微生物は多くの場合、ゆっくりと増殖する。 ところが、pH 5.0未満になると、ほとんどの微生物は増殖を停止する。
 従って食品中の微生物の増殖を pH によって制御しようとするならば、 pH5.0未満というところがポイントとなる。このような食品の代表的な例がビールや醤油やジュース、炭酸飲料などである。

pHの違いと各種食品

 このように、pH 5.0未満にすると、一部の例外菌(乳酸菌など)を除けば、多くの微生物(腐敗菌、食中毒菌)の増殖をほぼ完全に抑制できる。しかし一方で、食品の味という点では、 pH 5.0未満に コントロールすると酸味が出てきてしまい、商品価値がなくなってしまう。これは食品の開発設計者にとってとても大きなジレンマである。

pH5.0が微生物増殖制御効果の臨界点

 もちろん、厳密にいえば、微生物ごとに最低発育の pH は異なる。下の表は、 米国 FDA のサイトから拾った代表的な食中毒細菌の最低発育 pH である。表には示していないが、例えば乳酸菌などの最低発育さらに低く、 pH はPH 4.0以下である場合が多い。


  ここでおおよそ理解していただきたいのはほとんどの食中毒細菌の最低発育 pH が5.0以下であるものの、pH4.0以上であるということである。サルモネラ菌は、下記の図では3.7と記載してあるが、この数字はサルモネラが  pH4.0~ 5.0以で活発に増殖できるという意味ではなく、あくまでもpH3.7で分裂をすることが出来たか否かという数字程度にとらえればよい。食品の品質管理の実用的な知識としては、 おおまかには PH 5.0以下の制御が有効であるということを理解しておくと良い。

有機酸による抗菌作用

 実際に食品でPH による微生物の増殖の制御を行う場合、有機酸を用いる場合が多い。食品中の微生物の増殖を抑制する代表的な有機酸としては、酢酸、乳酸、ソルビン酸、プロピオン酸、安息香酸などがある。野菜を放置すると野菜に付着しているシュードモナスなどの腐敗細菌によって野菜は腐敗する。しかし塩漬け野菜では、これらの腐敗細菌は水分活性が低いので増殖できない(水分活性とは何かについては次の記事で説明する)。
 一方、野菜の表面には耐塩性の乳酸菌も生息している。従って塩漬け野菜では乳酸菌だけが増殖することが可能となり、乳酸発酵を行う。このように乳酸菌によって漬物の pH が低下し、酸っぱい漬物が出来上がる。 pH が4.6以下になると、ボツリヌスの記事で説明したようにボツリヌス菌の胞子がたとえ存在しても、増殖できない。

 またほとんどのの腐敗細菌もこのような低いPHでは増殖できない。このように漬物では有機酸の一つである乳酸が食中毒菌や腐敗細菌の増殖を抑制している。このメカニズムをその他の食品に応用しようとしたものが食品添加物としての有機酸である。

漬物の発酵と微生物

保存料や日持ち向上剤としての有機酸による抗菌作用のメカニズム

 以下に有機酸による微生物増殖阻害メカニズムについて説明する。

 有機酸に共通する化学構造は、親水性部分としてのカルボキシル基である。そしてこのカルボキシル基に様々な構造の疎水性官能基が結合している。最も単純なものとしては、メチル基が連結したものであり、これは酢酸である。また炭素が2つであるエチル基が欠乏するととプロピオン酸になる。乳酸でもまた同様に疎水性官能基がカルボキシル基に結合している。ベンゼン環が結合している有機酸は安息香酸である。有機酸による微生物の増殖の抑制メカニズムを考える際には、これらの化合物のひとつひとつの疎水性官能基の構造についてはあまり詳しく知る必要はない。重要なポイントはこれらがすべて疎水性の性質をもった官能基を持っているということである。

各種有機酸


 さてそれでは有機酸は微生物の増殖をどのようなメカニズムを用いて抑制するのであろうか。一般に食品に有機酸を添加して微生物の増殖を制御する場合、食品のpHをある程度下げられるものでないと有機酸の添加効果は期待できない。微生物に対する静菌・殺菌効果のメカニズムは以下のように考えられている。

 酢酸など有機酸はR-COOH→RCOO- + H+ に示される化学平衡により周囲のPHが酸性であれば非解離状態(R-COOH)となる。一般に有機酸は非解離状態ではR基の影響が強く、疎水性の性質が強くなる。

有機酸の化学平衡


 ここで、まず基本的な細胞膜の性質を理解する必要がある。微生物の細胞膜を構成するリン脂質2重膜は疎水性の化合物を簡単に通す。しかし一方で 水素イオンのような電荷を帯びたイオンは疎水性のリン脂質二重膜を通過できない。まずは有機酸が疎水性になることによって簡単に微生物の細胞内に侵入する。

細胞膜の各化合物の透過性

 微生物細胞膜は親水性物質やイオンは通過させないが、疎水性物質は微生物の細胞膜を通過しやすい。したがって、非解離型酢酸は細胞内に入りやすい。

疎水性化合物微生物細胞膜を通過する

細胞内のpHは中性付近なので、細胞内に入った有機酸は、細胞内でRCOO- と H+に解離する。

微生物細胞内のPHは中性

その結果、細胞内に蓄積される過剰の水素イオン[H] を細胞外に排出しようとする。しかし、微生物の細胞内で有機酸から放出された水素イオンは細胞外へは簡単に放出できない。なぜならば下の図に示すようにリン脂質二重膜でできている細胞膜には水素イオンのように電荷を帯びているイオン物質は全く通過させることができないからである。従って水素イオンをリン脂質二重膜を通して外に出すためには、細胞膜に存在するタンパク質を用いて水素イオンを細胞外に出すことが必要になる。水素イオンを細胞外に出すためには微生物はエネルギーを使わなくてはならない。微生物が使用する化学エネルギーはATPと呼ばれる。

水素イオンは細胞膜を通過できない
細胞外に水素イオンを排出する

 以上のプロセスにより、微生物はATPを消耗し、増殖速度が落ちる。これが有機酸による微生物の増殖の抑制のメカニズムであると考えられている。上述したように異なる構造を持った有機酸の疎水性官能基の部分は様々な構造である。しかしいずれにしてもこれらの有機酸による微生物増殖の抑制のメカニズムはこのような共通原理に基づくものと考えられている。

同じ有機酸でも酢酸ナトリウムは日持ち向上剤、プロピオン酸は保存料 

 有機酸は食品の保存料として広く使用されている。もともと、乳酸や酢酸などの有機酸は自然界や伝統的な発酵食品での微生物腐敗の抑制物質である。チーズ、ヨークルトなどの乳酸発酵による乳製品の伝統のある欧米諸国では、食品の保存を目的として、乳酸ナトリウムが広く用いられ、米麹や、日本酒文化の日本では酢酸ナトリウムが広く用いられている。乳酸も酢酸も同じ有機酸であるが、背景文化によって使用され方が異なるのは興味深い。
 ところで、保存料表示義務のあるプロビオン酸、ソルビン酸、安息香酸も、保存料表示義務のない酢酸や乳酸も、いずれも、化学的には有機酸であり、微生物の増殖を抑制メカニズムも基本的に同じ原理である考えてよい。しかし、食品衛生法上、プロビオン酸、ソルビン酸、安息香酸などは保存料として分類され、酢酸や乳酸は保存料表示義務がない。この理由は、微生物の増殖抑制効果の強弱ということもあるが、それ以上に酢酸や乳酸は古来から発酵食品の重要な成分として、日本では食酢として、また、欧米では乳酸として、人間の食生活に密接なかかわりを持っていたためであろう。

プロピオン酸ナトリウムと酢酸ナトリウムの添加物としての扱いの違い

  このように、プロピオン酸やソルビン酸 については、日本では「保存料」表示のために、消費者マインドとして「保存料=不健康」とのイメージが定着しているため、倦厭される傾向が強い。しかし、日本で保存料表示義務のあるプロピオン酸やソルビン酸については、米国では、いずれも「GRAS」(Generally Recognized As Safe(一般に安全とみなされている食品の意味)として認定され、 FDA の評価や認証なしで広く食品に使われている。これらの有機酸については、日本では特に、保存料表示のもたらすマイナス効果で過度に消費者にマイナスイメージをもたらしているようだ。

 なお、酢酸ナトリウムは、日持ち向上剤としての効果を期待して用いる場合は原則として物質名表示が必要であるが、その他の用途として、pH調整剤や調味料、酸味料などとして表記することも可能である。 

ソルビン酸は米国ではGRAS
酢酸ナトリウムの表示の融通性

殺菌作用としての胃の働き

 次に、胃の重要な役割として、胃酸による感染型食中毒細菌の殺菌の重要性について少し説明する。胃の中には胃酸が産生される。この主成分は塩酸である。この塩酸により、私たちの胃の中の pH は3.0以下になる。このような強い酸性環境下では微生物は殺菌される。私たちの胃の役割としては、食品中とともに入ってきた病原微生物を殺菌するということである。私たちは高校の生物学では胃の役割は消化機能であると習ってきた。もちろん胃には食べ物を物理的に柔らかくする機能がある。しかし、仮にこの機能がなくても消化は可能である。胃がんなどで胃を全部摘出した人でも、食べ物を消化することができる。なぜならば食べ物を消化する酵素は、小腸で分泌されるからである。しかし胃を全部摘出しまったら、胃酸による殺菌ができなくなる。従って胃を全部摘出てしまった人は、感染型食中毒にかかりやすい状態になっている。また、感染型食中毒細菌に汚染された同じ食品を食べても、感染される人と感染されない人が存在する。食中毒にかかりやすさについては、その人の免疫の力なども重要である。しかし、胃における 殺菌力の違いもまた大きく影響している。

殺菌装置としての胃酸

酸に対する感染型食中毒菌の強さの違いは、食中毒細菌の最小発症菌数にも関係

 酸に対する強さは、食中毒細菌によって異なる。例えばサルモネラの最小発症菌量は106cfu/g程度と言われている。一方、腸管出血性大腸菌の最小発症菌数は状況によっては100cfu/g程度でも発症すると考えられている。
 このような違いにはこれら2つの微生物の酸に対する強さが関係している。サルモネラの場合は、たくさんの細胞が胃の中に入っても、比較的酸に弱いために、大多数が死滅してしまう。従って一部の生き残ったサルモネラが腸に到達するためには、106cfu/g程度の細胞数のサルモネラが食品と共に胃の中に入ってくる必要があるわけである。一方、腸管出血性大腸菌は、酸に対して強い。従って100細胞程度が胃の中に入ってきたとしても、その一部が生き残って小腸に到達することができる場合がある。このように酸に対する感染型食中毒菌の強さの違いは、食中毒細菌の最小発症菌数にも関係しているわけである。

微生物の酸に対する強さの違いと胃酸での生存

そもそも、食中毒細菌は酸に弱いという特徴を持つ

 そもそも食中毒菌細菌の定義とは何か?食中毒細菌とは食品を食べる事によって食中毒を起こす細菌である。しかし、食中毒を起こすのに感染型食中毒菌が食品の成分を必要としているわけではない。なぜ、食品が感染に必要かといえば、食中毒菌は酸に弱いからである。つまり、ヒトの体の中に十分に多くの細胞数を入れるためには、食中毒細菌はかれらの乗り物としての食品が必要なだけである。

食中毒菌は胃酸に強くない
食中毒菌は食品というバスにのってやってくる


 空気中に漂う埃では、ヒトに食中毒を起こすだけの十分な数の細菌数を乗せることができない。仮に感染型食中毒菌がわずか10細胞程度でもヒトの体に食中毒を起こすことができると仮定してみよう。私たちは空気からの感染で感染しまうことになる。もしこのような力をこの細菌が持っているならば、この細菌はもはや定義としては食中毒細菌ではなくなり、空気中感染をする病原菌という定義になる。言い換えると食中毒細菌とはヒトの胃酸の PH によって殺されれやすい酸に弱い細菌だと定義することがもきる。

そもそも食中毒菌とは
食中毒菌は空気感染しない