2022年から始まった米国の鶏肉製品に対するサルモネラ規制強化の流れは、パン粉付き製品への基準適用を経て、生鶏肉全体へと拡大される予定でした。筆者もこれまでブログ記事で順次紹介してきましたが、2025年4月、米国農務省食品安全検査局(FSIS)は生鶏肉全体への新規制案を撤回しました。業界からの反発が理由と説明されていますが、その背後には政権交代による食品安全政策の大きな転換が色濃く見え隠れしています。本稿では、この逆転劇の経緯と背景を整理します。

トランプ政権がFSISの提案した鶏肉のサルモネラ規制を政権交代によって打ち壊す様子を風刺的に描いたイラスト。

規制強化に向けた動き(2022年~2024年)

  FSISは、2022年10月にサルモネラ対策の包括的な新枠組みを発表しました。これまでの「施設パフォーマンス基準」ではサルモネラ症発生率の改善が不十分であったことから、特定の血清型に焦点を当て、最終製品そのものに強制力ある基準を設ける方向に舵を切ったのです。

 この方針に沿って、まず2022年には、パン粉付き冷凍鶏肉製品に対して「1 CFU/g以上で違反とみなす」規格基準案が初めて提示されました。パブリックコメントや改訂を経て、この案は2024年4月に正式決定されるに至りました。

 続いて、2024年7月には、生鶏肉全体(丸胴、部位肉、挽肉)に対しても、「特定血清型が10 CFU/g以上検出された場合、違反とみなす」新たな規制案が発表されました。

 米国農務省が2022年にパン粉付き鶏肉に導入した規制が、2024年には全ての生鶏肉に拡大された流れを段階的に表した図解。

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 この規制案は、3年間にわたる科学的検討と意見聴取を経ており、消費者団体や食品安全専門家からも高く評価されていました。

規制案撤回の発表(2025年4月)

 しかし2025年4月25日、FSISはこの生鶏肉規制案を正式に撤回しました。公式発表では「業界から寄せられた意見を踏まえた結果」と説明されています。

 たしかに、食鳥業界団体からは新規制に対する強い反発が寄せられていました。科学的根拠への疑義、過度なコスト負担、生産者・消費者への価格転嫁などが主な論点でした。

 ただし、この種の規制提案に業界側から強い反対が出ることは、FSIS自身も十分に織り込み済みだったはずです。それにもかかわらず、撤回に至った背景には、より大きな政治的力学が働いたと見るべきでしょう。

撤回を発表したFSIS職員に対して、消費者団体が強く疑問を投げかける場面を描いたイラスト。「なぜ急に撤回なのか」と問う姿勢が印象的。

NACMCF(食品微生物基準諮問委員会)の突然の廃止

 規制撤回の直前、2025年3月には食品安全に関わる重要な国家諮問委員会が相次いで廃止されました。
 特に注目すべきは、National Advisory Committee on Microbiological Criteria for Foods(NACMCF)廃止です。廃止は連邦政府の「官僚主義削減」を目的とした大統領令に基づくものであり、委員会のメンバーには3月6日に通知が届いています

 この委員会は、食品中の微生物基準やサンプリング計画に関して科学的助言を行う、いわば日本の内閣府食品安全委員会・微生物専門調査会に相当する存在でした。
 サルモネラ、リステリア、カンピロバクターといった重要病原体に関して、30年以上にわたり科学的裏付けを提供してきた組織が、政権交代とほぼ同時に姿を消したのです。

 30年以上続いた食品微生物基準諮問委員会(NACMCF)が廃止された場面で、科学者たちがその影響を懸念しながら片付けをしている様子。

この出来事は、単なる委員会廃止にとどまらず、「科学に基づく政策立案のインフラそのものが縮小された」ことを意味しています。

バイデン政権とトランプ政権──食品安全政策に見る価値観の違い

 今回の撤回劇を理解するには、バイデン政権とトランプ政権の「価値観の違い」を押さえておく必要があります。

 バイデン政権は、消費者保護を重視し、科学的合理性に基づいた規制強化を進めてきました。FSISのサルモネラ対策強化も、その一環と位置づけられていました。

 これに対し、トランプ政権は、消費者側よりも生産者側を優先する傾向が明確です。石油掘削を奨励し、環境規制を緩和するなど、産業振興を最優先とする粗削りな政策が目立ちます。今回も、鶏肉生産・加工業界(家禽産業)からの反発を受け、科学的合意よりも「産業界の負担軽減」という視点を優先した形になっています。

バイデン政権は科学と消費者保護を、トランプ政権は産業保護と規制緩和を重視していることを、天秤で対比的に描いたシンボルイラスト。

一言でいえば、「国民の安全を慎重に守る」というスタンスから、「産業界に自由を与え経済を活性化させる」スタンスへと、価値観の軸が大きく転換したと言えるでしょう。

積み上げられた政策が逆転するアメリカの現実

 今回の撤回劇は、米国における食品規制のあり方が、必ずしも科学的合理性だけで決まるわけではないという現実を改めて突きつけたように思います。

 実際、今回のサルモネラ規制撤回に象徴されるように、2022年から積み上げられた科学的合理性に基づく政策は、わずか3年で逆転しました。科学や合意形成に時間をかけたとしても、それが長期的な安定を保証するわけではありません。

 現在の米国では、食品安全だけでなく、環境政策、労働政策、エネルギー政策など、あらゆる分野で「積み上げたものが政権交代によってあっさり覆される」現象が見られます。そんな「揺らぐ国」としてのアメリカの姿を、私たちは冷静に見ておく必要がありそうです。

代替テキスト案(日本語):
 アメリカの食品安全方針が政権交代で覆されたことに対し、日本の食品企業の品質管理担当者たちが新聞を読みながら困惑している様子。