水道水の安全性を巡る学術的な議論の中心にあるのは、糞便系大腸菌群を衛生指標として使用することの妥当性です。数年前に公開された2つの主要な研究が、この指標の信頼性について相反する結論を導き出し、科学界内外で大きな注目を集めました。本稿では、水道水の衛生管理における糞便系大腸菌群の役割を巡る現在の論争に光を当て、両論文の内容とその意義について詳しく紹介します

※ 糞便性大腸菌群(faecal coliforms) とは 何かの基礎事項を確認されたい方は下記記事をご覧ください。
大腸菌とは何か、大腸菌群とは何か

糞便系大腸菌

糞便系大腸菌群は指標として不適とする声

 まずは、2014年の米国カルフォルニア大学グルーバー博士らの論文です。博士らは、水道水の指標として用いられている大腸菌と糞便性大腸菌について、これまで出版された文献の解析を実施しました。逆分散加重を用いたランダム効果モデルを用いて相対リスク(RR)RRを評価しました。

 その結果、下痢と大腸菌との関連を示す証拠が見られましたが、糞便系大腸菌との関連は見られませんでした。このことから、論文では、家庭用飲料水の糞便指標として糞便性大腸菌は不適当であり、 大腸菌のみが適当であると結論しました。

no!

Gruber J.S. et al., PLoS One.24;9(9)(2014)
Coliform bacteria as indicators of diarrheal risk in household drinking water: systematic review and meta-analysis
この論文は、2014年に出版され、これまでに82回引用されています(2021年11月scopus調べ)
この論文はPubMed Central(PMC)で無料公開されています。

反論(糞便系大腸菌群は水道水の衛生指標細菌として適している)

 これに反論する論文も2016年に出版されています。

 米国エモリー大学のホッジ博士らの論文です。ホッジ博士らは、グルーバー博士らの論文は個人レベルのデータは分析していないと批判しました。ホッジ博士らは は、複数の研究から得られた個人レベルのデータを用いて、飲料水中の糞便系大腸菌群濃度と下痢性疾患との関係を解析しました。

 その結果、博士らは、個人レベルのデータを分析した結果、飲料水の糞便系大腸菌群レベルが高くなると下痢のリスクが増加することが示しました。

 これらの結果は、糞便汚染水と下痢性疾患との関連性を示唆しており、飲料水中の糞便系大腸菌が衛生指標菌として有効であると結論しました。

yes!

Hodge J. et al., Environ Health Perspect. 124:1560–1567 (2016).
Assessing the Association between Thermotolerant Coliforms in Drinking Water and Diarrhea: An Analysis of Individual-Level Data from Multiple Studies
この論文は、2016年に出版され、これまでに24回引用されています (2021年11月scopus調べ)
この論文はPubMed Central(PMC)で無料公開されています。

さて、どっちが正しい?

 2つの論文を比較すると、論文の引用回数から見ると前者の方が2年早く出版されています。しかし、出版後の時間差を考慮しても、後者よりも4倍多く引用されています。論文の引用度から見ると、「糞便性大腸菌群は有効な指標にはならない」とする研究成果の方が注目されていると判断できます。しかし、論文を読む限りでは、解析の精度では後者に軍配が上がりそうです。

 私は、水道水やミネラルウォーターの衛生指標菌としての糞便系大腸菌群には大きな問題はないと考えます。ただし、もちろん、糞便系大腸菌群は高温で培養可能な大腸菌群を選定しているに過ぎない点には留意が必要です。そのため、糞便系大腸菌群が検査上の分類であり、糞便とは無関係な属も含む可能性があることを念頭に置きつつ、水道水やミネラルウォーターの検査を行う必要があります。

 実際のところ、研究者によっては「糞便系大腸菌」という言葉を使用することに違和感を感じる人もいます。彼らは、「糞便」という表現が必ずしも適切ではないと考え、むしろ「耐熱性大腸菌群(Thermotolerant coliform)」と呼ぶべきだと主張しています。これは、大腸菌群の中でも、糞便とは無関係に高温(例えば44.5℃)で増殖できるグループを指しており、糞便由来であるかどうかを問わないという視点に基づいています。

 こうした観点も踏まえ、検査結果を解釈する際には、糞便系大腸菌群が必ずしも糞便汚染を示しているわけではないことに注意を払いながら、その利用方法について慎重に考えることが重要です。

食品で糞便系大腸菌群を採用してる日本

 以上述べてきましたように、水道水や、ミネラルウォーターでは、糞便系大腸菌群は国際的に広く採用されています。

 また、日本ではさまざまな食品(乾燥食肉製品、加熱食肉製品、加熱後摂取冷凍食品、そうざい類、漬物、生めん、めんの具等)に 糞便系大腸菌群 (ブロック体E.coli)の成分規格が定められています。

 ところで、日本以外に、幅広い食品において、 糞便系大腸菌群 が微生物規格に取り入れられている例があるでしょうか?

 下記の別記事で説明したように大腸菌群については、その妥当性に議論が起こっているものの、日本以外でも、まだ米国や南米などの乳製品業界や、韓国(日本と同様に多くの食品において規格基準に盛り込まれている)で食品の微生物学的規格基準として残っています。

食品の大腸菌群検査の意義や基準に対して米国でも疑問の声あり

 では、糞便系大腸菌群(日本の微生物規格基準としてはブロック体のE.coli表記)については、どうでしょうか?

 筆者が調べた範囲では食品の衛生基準にを用いている例は、 EU はもちろんのこと、米国、南米、韓国も含めてほとんど見当たりませんでした。唯一見つけたのが、米国での乳児用調合乳で大腸菌や大腸菌とともに糞便系大腸菌が対象微生物に入っていました。

 すなわち糞便系大腸菌群(日本ではブロック体のE.coli)を、食品の微生物規格に日本のように幅広く盛り込んでいる国はほとんどないと考えてよさそうです。別記事でも述べたように、糞便系大腸菌群そのものをほぼ大腸菌とみなして食品の糞便汚染の基準とすること自体は、科学的に大きな問題があるわけではありません。ただし国際基準との調和・整合性の観点からは、大いに問題ありです。

 大腸菌群の問題は時間がかかるとしても(米国などの他国の動きなども考慮して)、少なくとも糞便系大腸菌群(日本ではブロック体のE.coli)を微生物規格に入れている問題は、速やかに国際的な基準としての大腸菌(E.coli)に移行すべきではないかと考えるところです。

驚く外国人



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