Fraser培地とHalf Fraser培地はリステリア属菌の選択的増菌にISOで推奨される標準手法である。この記事では、これらの培地がリステリア属菌を効率的に選択し、鑑別する理由を解説する。特に、民間企業の女性研究者であるJudy A. Fraser博士が開発に寄与したこの培地の開発背景と科学的原理に焦点を当て、理解を深める。
Listeria monocytogenesの分離手順の概要
ISO 11290-1:2017におけるリステリア・モノサイトゲネスまたはリステリア属菌の検出方法(定性試験)の原理は概ね以下の通りである。
第一段階の選択増菌培養(一次培養):
- サンプルをHalf Fraser培地(液体)に加え、30°Cで24時間培養する。これによりリステリア属菌の細胞は増殖できるが、他の微生物の成長が抑制される。
第二段階の選択増菌培養(二次培養):
- 一次培養液0.1mlをFraser培地(液体)に移し、同様に37°Cで48時間以上培養する。このステップでは、リステリア属菌の選択的増殖がさらに促進される。
鑑別試験:
- 一次培養および二次培養液を、リステリア属菌の各種選択的固形培地(例:ALOA寒天培地(OTTAVIANIとAGOSTIによる)、Oxford培地、PALCAM培地等)に画線塗抹する。37°Cで24-48時間インキュベートした後、リステリア属菌もしくはリステリア・モノサイトゲネス特有のコロニーを選択する(鑑別試験に用いる寒天培地については、別記事で改めて解説予定)。
確認試験:
- 選択したリステリア属菌定コロニーに対して、生化学的試験や血清型、PCRなどの分子生物学的手法を用いて、リステリア・モノサイトゲネスと確認する。
Fraser培地開発の歴史
Fraser培地がリステリア属菌の選択増菌培地として優れている理由を説明するためには、この培地がどのような経緯で開発されたかを理解することが最も正確で深い理解を得るための方法である。したがって、ここではFraser培地の開発歴史を簡単に振り返りながら、リステリア属菌にとってなぜ選択増菌培地として優れているのかを説明していく。
Fraser培地以前
1981年、カナダのコールスローによる食中毒で、世界で初めてリステリア・モノサイトゲネスが食中毒だということが認識された。その後、米国カリフォルニア州でも1985年にソフトチーズで大規模な食中毒が発生した。 そこで、1980年代は、リステリア・モノサイトゲネスの効率的な検出方法の開発が急務であった。
Fraser博士たちが培地を開発する前に、米国農務省食品安全検査局(USDA-FSIS)のUVM二次濃縮ブロスが用いられていた。この培地の原理は、複数の抗生物質を液体培地に添加し、リステリア属菌外のできるだけ多くの細菌の増殖を抑制することであった。ただし、これは単なる選択増菌培地であり、鑑別培地の機能は持っていなかった。そのため、増菌培養後には全ての選択培養試験管から鑑別培地に菌液を接種し判別する必要があり、非常に煩雑で時間のかかる作業であった。
Fraser培地(1988年)
そのような情勢の中で、1988年、日本ではバブル景気真っ只中の年、ピルズベリーカンパニー(米国に本拠を置く会社で、 2001 年にゼネラル ミルズに買収されるまでは、世界最大のケーキ製造業者および穀物やその他の食品の生産業者だった)の女性研究員であるJudy .A. Fraser博士とその同僚によって開発されたのが、Fraser培地だ(Fraser and Sperber, 1988)。
米国農務省法が非常に煩雑であったため、より簡便にリステリアを鑑別できる方法を考案したのがFraserたちの功績である。Fraser博士たちのアイデアのポイントは次の通りだ。
培地に鉄イオン(クエン酸第一鉄アンモニウム)を加える
Fraser博士らは、すべてのリステリア属菌がエスクリンをエスクレチンに加水分解する点に注目した。エスクリンは、セイヨウトチノキ (大型の落葉樹) などの樹皮と種子に含まれる天然のクマリンのグルコシドである。
エスクリンの加水分解により、グルコースとエスクレチンと呼ばれる化合物が形成される。Fraser博士らは、1000株以上のリステリア属菌株についてエスクリンの分解性を調べた結果、すべてのリステリア属菌株がエスクリンを分解することを見出した。
当時、米国農務省法にもエスクリンが含まれていたが、リステリア属菌がそれを加水分解した反応を視覚的に検出するシステムは存在しなかった。そこで、Fraser博士たちは培地に鉄イオン(クエン酸第一鉄アンモニウム)を加えることを思いついた。鉄イオンを加えることによって、エスクレチンは、クエン酸第一鉄アンモニウムと濃茶色または黒色の錯体を形成するため、加水分解を視覚的に確認することが可能になると考えた。
Fraser博士たちはこの培地の性能を早速チェックしたところ、確かにリステリア属菌が黒色になって検出されたが、リステリア属菌以外のいわゆる偽陽性も多く出た。博士たちはこの偽陽性の株が何であるか調べたところ、ほとんどが腸球菌(Enterococcus)であることが分かった注)。
注)腸球菌(Enterococcus 属)は、以前はグループ D 連鎖球菌(Streptococcus group D)として分類されていた。しかし、1984 年に、DNA-DNA ハイブリダイゼーションと化学分類学的研究に基づいて、それらは Enterococcus と呼ばれる別の属に分離された。最も一般的な病原性亜種はEnterococcus faecalisとEnterococcus faeciumで、これらは通常、胃腸、肝胆道、泌尿生殖器の細菌叢を構成し、時に日和見感染菌となる。現在では、エスクリンの分解性は、Enterococcus の分離鑑別にも広く用いられている(Chuard and Reller ,1998)。
塩化リチウムをで腸球菌を撃退
そこで、博士たちはリステリア属菌のみを増殖させつつ腸球菌の増殖を排除する方法を考えた。
その結果、塩化リチウム0.3%を加えることで、腸球菌は耐えられず、リステリア属菌のみが増殖するシステムを確立した。
塩化リチウムがなぜエンテロコッカスの増殖に阻害的に働くかについての詳細なメカニズムは分かっていない。ただし、塩化リチウムの濃度によっては微生物の増殖を抑制することは当時から知られていた。黄色ブドウ球菌検査のISO法であるBaird-Parker寒天培地でも、黄色ブドウ球菌以外の表皮ブドウ球菌の成長を抑制するために用いられている。塩化リチウムによる微生物増殖抑制作用については別記事をご覧ください。
このシステムにより、腸球菌による偽陽性を大幅に改善することができた。ただし、1025サンプルで試験を行ったところ、塩化リチウムを添加した培地でも、最終的には12%のサンプルで偽陽性(黒色変化が見られたものの、リステリア属菌ではなかったサンプル)が認められた。したがって、鑑別平板やPCR法などの後続試験が必要となる。一方、偽陰性については、1025サンプル中で黒色に変化しなかった試験管でリステリア属菌だったサンプルはゼロ、すなわち偽陰性は全く起こらなかった。
なお、培地にクエン酸第一鉄アンモニウムを加えるメリットは、エスクレチンの黒色の錯体を形成するだけではなく、リステリア属菌そのものの増殖が促進されることも、研究者たちは見出した。つまり、一石二鳥でアルト博士らはこの論文で述べている。
培地の原理まとめ
米国農務省法に基づき、Fraser博士らの発見や工夫が加えられたものは、現在「Fraser培地」と呼ばれ、広く使用されている。培地の組成は以下の通りだ。
Fraser培地は、培地本体とサプリメントに分かれる。培地本体には基本的な成分は含まれているが、クエン酸第一鉄アンモニウム、ナリジキス酸、アクリフラビンはサプリメントとして提供される。この設計には特別な理由がある。具体的には、Half Fraser培地とFraser培地を作るためだ。Half Fraser培地とFraser培地の違いは、サプリメントとして添加される抗生物質の量にある。Half Fraser培地では、ナリジキン酸とアクリフラビンの濃度がフレイザー培地の半分である。
- Half Fraser培地は一次増菌に用いらる(抗生物質の濃度が最初から高いと菌の回復に影響が出るため、最初は半分の濃度で損傷菌の回復を促す。)
- Fraser培地は二次増菌に使用される
選択の原理
抗生物質添加によるリステリア属菌以外の細菌の増殖抑制
ナリジキス酸
1962年に化学合成された抗菌剤の一種。キノロン系抗菌剤の一つで、DNAジャイレースを阻害することにより、主としてグラム陰性菌に対して抗菌活性。
アクリフラビン
1912年に発見された抗生物質。多くのグラム陰性菌とグラム陽性菌の細菌に対して抗菌活性
塩化ナトリウム2%に耐えられない微生物の増殖抑制
グラム陽性菌、グラム陰性菌を問わず、比較的高濃度の食塩( 塩化ナトリウム2%は、生理的食塩水0.85%よりもはるかに高く、海水3.3%よりやや低い濃度)に耐えられない微生物を抑制する。リステリア属菌や黄色ブドウ球菌などの微生物はこの濃度でも増殖できる。
塩化リチウム(0.3%)による腸球菌の増殖抑制(☑Fraser博士の功績)
エスクリンを加水分解する腸球菌の増殖を抑制する(Fraser 博士の発見)。
識別の原理(☑Fraser博士の功績)
全てのリステリア属菌はエスクリンをエスクレチンに加水分解し、これが鉄イオンと反応して培地の黒変を引き起こす(Fraser 博士の発見)。
まとめ
現在世界の標準法となっているリステリア属菌の増菌培地であるFraser培地は、民間企業の女性研究員であるFraser博士によって開発された。もちろんこの培地は、彼女が一から考案したわけではなく、米国FDA法を用いてながら、もう少し工夫できないかという効率的な検出方法への情熱と工夫が、後世に残る培地を生み出したのだ。研究と聞くと、大学で行われていると思いがちだが、食品会社に勤める民間の研究員であっても、名を残す培地を創出することができる。研究といっても、一から作り上げる必要はなく、現状の方法に一工夫加えるだけでも画期的なものに展開する可能性がある。これは、同じく民間企業で働く研究員たちにとって、大きな励みになるだろう。