食品工場でよく使われる殺菌剤の最後に第4級アンモニウム塩(塩化ベンザルコニウム)について説明をしておく。塩化ベンザルコニウムは食品工場では次亜塩素酸ナトリウムと同じく最も広く用いられている殺菌剤である。日本に限らず米国などでも塩化ベンザルコニウムは最も一般的に用いられている。

 私たちの日常生活ではバンドエイド注)などの 絆創膏に用いられている殺菌剤として身近である。 また一部のハンドソープでも塩化ベンザルコニウムは用いられている場合がある。

注)日本で売られているバンドエイドには成分は表示されていないが米国本社でのホームページを見るとその成分は塩化ベンザルコニウムだということが記載されている。

 殺菌のメカニズムは、この化合物の構造が疎水性の官能基を持つことが重要な要素である。またここで重要なことはこの疎水性の官能基が錯体としてプラスに荷電してマイナス荷電の塩素イオン化合物を構成している点である。一つの化合物の中に疎水性の部分と荷電して電荷を帯びた部分を持つために、石鹸のような両親媒性の性質を持つ。従って 塩化ベンザルコニウム も石鹸の一種である。ただし、石鹸として最も広く普及している脂肪酸ナトリウムの場合は、疎水性の部分がマイナスに荷電する。しかし塩化ベンザルコニウムの場合は疎水性の部分がプラスに荷電する。従って脂肪酸ナトリウムの石鹸を陰性石鹸と呼ぶのに対して、塩化ベンザルコニウムは陽性石鹸とか、もしくは、普通の石鹸と逆に電気的な荷電をしているという点で、逆性石鹸と呼ぶ。

 塩化ベンザルコニウムの疎水性の錯体の部分がプラスに荷電しているということが、殺菌力を理解するうえで、とても重要な要素である。なぜか。なぜならば微生物の細胞表層はマイナスに荷電ジしているためである。プラスに荷電している疎水性の錯体がマイナスに荷電している微生物細胞に誘導ミサイルのように電気的に引き寄せられる。


 なぜ微生物がマイナスに荷電しているのかについてもここで理解しておくと良いだろう。
 まずグラム陰性菌については細胞表層の外膜にポリサッカライドが突き出ている。このポリサッカライドが全体でマイナスに荷電している。一本グラム陽性菌はグラム陰性菌のような外膜が持っていないが、細胞壁から直接タイコ酸 (Teichoic acid)という鎖状化合物が突き出ている。実はこのタイコ酸は、グリセロールリン酸のポリマーで、全体がマイナスに荷電している。この記事の読者は入門者を想定しているので詳細は省くが、要するに理解しておいてほしいことは「細菌の細胞表層はマイナスに荷電している」という事実である。このことは塩化ベンザルコニウムの殺菌メカニズム以外にもいろいろなところで活用できる知識である。是非、頭に入れておいてほしい。

 さて塩化ベンザルコニウムのメカニズムの話に戻る。上述したように塩化ベンザルコニウムは窒素原子に疎水性のアルキル基が結合しているのでこの部分は疎水性である。そしてこの疎水性の部分全体がプラスに荷電しながらマイナス荷電の塩素イオンと化合物を構成している。プラスとマイナスの誘導ミサイル方式で微生物の細胞表層に突き刺さった塩化ベンザルコニウムの疎水性の部分が、今度は微生物の細胞膜の疎水性の部分と親和性を持ち、細胞膜を撹乱し、そして穴を開けるというメカニズムが考えられている。

 さてここで使用上の注意をしておく。食品工場などでは陰性石鹸も逆性石鹸もどちらも日常的に広く用いられているが、これを混ぜて使ってはいけないということである。

 その理由は、片方がマイナス家電の界面活性剤であり、もう一方がプラスチャージの界面活性剤なので、混ぜてしまうとプラスとマイナスが中和されてしまうからである。上述したように塩化ベンザルコニウムの殺菌力はそのプラスのチャージの部分がポイントである。これが中和されてしまってはマイナスチャージの微生物細胞表層に誘導ミサイル的に結合ができなくなり効果がなくなる。このような例は例えば身近なところではシャンプーとリンスの関係と考えれば良い。シャンプーはマイナス荷電であり、リンスは陽性荷電の界面活性剤である。マイナス荷電のシャンプーで髪を洗った後は、髪の毛がマイナスに荷電してしまい、反発してガサガサになる。ここで陽性荷電のリンスで髪の毛を洗うことによって、マイナスチャージがプラスにより中和されて、しっとりとなる。髪の毛の場合はこれで良いが、微生物の殺菌の場合はせっかくの陽性石鹸の殺菌力が失われてしまって元も子もなくなる。

 最後に薬剤耐性菌のについても触れておく。

 これまでの記事で述べてきた各種殺菌剤については薬剤耐性菌の出現はあまり想定できない。その理由は、アルコール、塩素酸ナトリウム、酸性電解水、過酢酸などの殺菌剤はある特定のピンポイントの攻撃をするわけではなく、微生物細胞の有機物そのものを変性させたり破壊したりするからである。このような無差別な攻撃を行う薬剤に対しては微生物は耐性菌と出現しにくい。耐性菌となり得るのは抗生物質のように特定のピンポイントの弱点を突く薬剤の場合だけである。

 さてそこで塩化ベンザルコニウムである。塩化ベンザルコニウムも上述したメカニズムのように基本的には幅広く細胞膜表層を確認する薬剤であるので薬剤耐性菌は考えにくいと科学者の間では想定されていた。しかし過去20年間において塩化ベンザルコニウムに対して耐性を持ってしまったという論文がいくつも出版されている。メカニズムについてはまだ詳細には分かっていないが、塩化ベンザルコニウムについてのみは、食品工場では日常的な生活で使いすぎるとこの化合物に対する耐性菌が出てしまうということだけは理解しておくと良いだろう。