工場での微生物の洗浄殺菌を考える上で、不可欠な理解としてバイオフィルムという概念がある。本記事では、バイオフィルムとは何か、バイオフィルムの形成過程やメカニズム、バイオフィルム細胞の生理特性、食品工場での形成されやすい箇所、除去方法について、簡単にわかりやすく説明を加える。

バイオフィルムとは

  まず食品工場で問題となるバイオフィルムとは一体どのようなものなのか。このイメージをつかむには、朝起きた時の自分の口の中の歯を想像すれば良い。歯の表面にヌルヌルとした物が付着している。これがバイオフィルムだ。 あるいは歯の根元に強力に付着している歯垢 は、工場のラインのどこかで長期間、根付いている強固なバイオフィルムとイメージすれば良い。

歯茎のバイオフィルム

 食品製造工場で 製造ラインを洗浄して衛生管理を行っているはずだと考えているにも関わらず、原因不明で製品に微生物が汚染する場合が多々ある。このような場合には製造ラインのどこかにバイオフィルムが形成されている可能性がある。バイオフィルムが原因で微生物汚染の原因になっている可能性が考えられる。

食品工場製造ラインの細菌汚染

バイオフィルムは薬剤に抵抗性を示す


 まず微生物の増殖曲線を見てみよう。微生物が試験管の中で活発に増殖して細胞数を増やしていく段階を対数増殖期と呼ぶ。次に試験管の中で微生物の細胞が十分に増えた後には栄養が枯渇し、微生物はこれ以上の増殖ができなくなる。この状態の時期を定常期と呼ぶ。さらにこのまま放っておくと、微生物たちは次第に死滅していく。このステージを死滅期と呼んでいる。

微生物の培養ステージ


 さてここで、微生物の細胞にストレスを与えた場合にどのステージの細胞が最も強いであろうか?もちろん最も弱いのは死滅期である。ここで問題は対数増殖期と定常期のどちらの細胞の方がストレスに対して強いかという点である。多くの人々は対数増殖期の細胞が最も強いはずだと考えるであろう。なぜなら、人間で例えると、対数増殖期の微生物は10代から20代の若い世代に相当するからである。微生物ではどうであろうか。実は微生物の場合は対数増殖期にある細胞よりも定常期にある細胞の方がストレスに対して強い抵抗を示す。

微生物の培養曲線とストレス抵抗性

 微生物が様々なストレスに対して、活発に増殖して元気のいい対数増殖期よりも、増殖の勢いが衰えて成長が止まった定常期の方が、抵抗を示すということに関して、わかりやすく例えて説明を試みよう。


 今川義元が織田信長に桶狭間で敗れた場面が微生物で言う対数増殖期に相当する。勝ちを確信している状態すなわち油断している状態が対数増殖期である。

桶狭間の戦い

 一方、どのような弱小大名であっても城にこもってしまえば城攻めは難しい。「のぼうの城」という映画を見たことがある方がいるだろうか?豊臣秀吉の武将石田三成が20倍以上の大量の兵力で関東の小さなお城責め落とそうとしたが抵抗にあって結局落とすことができなかった。このような弱小大名であっても守りに入った場合には攻め落とすのは難しい。微生物も同じことで定常期やバイオフィルム状態になった場合には攻め落とすのは難しい。

城の籠城戦


 すべての生物はある程度の逆境があった場合の方がさらなる逆境に対して準備ができている状態になる。 このような準備段階で細胞の中に作られるタンパクがストレスタンパクである。ストレスタンパクは微生物だけに限らず高等動物などでも多く見つかっている。

 ここで重要な概念がストレスタンパクという概念である。微生物は環境が快適な場合は活発に増殖する。しかし、これらの対数増殖期の細胞は外からのストレスに対しては準備ができていない。一方、周囲の環境の栄養が枯渇し、環境としては好ましくない状態になっている定常期の細胞は、細胞内にストレスタンパクを産生する。これらの細胞はさらなる環境の悪化に対して細胞が傷つかないようにするための防御体制に移行するわけである。

ストレスタンパクの遺伝子発現

 工場における微生物の殺菌の話に話を戻そう。微生物は栄養物が豊富にある状況では活発に増殖する。しかし工場環境は食品中とは違い栄養が豊富ではなく、微生物にとっては決して好ましい環境ではない。微生物たちはこのような不利な環境では、固体の表面に付着し、バイオフィルムを形成する。

このようなバイオフィルムを形成すると、微生物たちは殺菌剤では殺されにくなる。 その理由として、 もちろんバイオフィルムでは有機物や細胞が折り重なっているために、このような構造には殺菌剤の効果が効きにくいということもある。しかしバイオフィルム細胞が殺菌されにくい理由はたったそれだけではない。これらのバイオフィルム細胞を固体表面から剥がして殺菌剤の実験をしても、試験管の中で増殖させた細胞と比べるとはるかに殺菌されにくいことが多くの実験で判明している。つまりバイオフィルムを作った細胞は明らかに細胞の性質が異なっているのである。バイオフィルムを作っている細胞の中には上述したストレスタンパクが作られているということである。

このように工場での洗浄や殺菌を理解する場合には微生物がつくるバイオフィルムという概念について理解しておく必要がある。

バイオフィルムのイラスト

バイオフィルムの形成されやすい箇所


 ではどのようなところにバイオフィルムが形成されるのであろうか。

工場環境においては、例えば一番バイオフィルム形成のリスクが高いのは、大きな装置の下など日常の洗浄が行き届かないところである。このような環境はしっかりと洗う必要がある。

工場でバイオフィルムのできやすい箇所としての大型装置の下

また、工場の配管の内側や外側なども洗浄しにくい場所である。このような場所にもバイオフィルムが作られている。配管の外側には水滴が付着している。栄養がほとんどない環境ではあるが、このようなパイプラインの中や内の環境でもバイオフィルムは作られる。

工場でバイオフィルムのできやすい箇所としての配管

また工場の足マットの裏などもバイオフィルムの温床となっている。

工場でバイオフィルムのできやすい箇所としての足ふきマットの下

また、工場内で荷物を運ぶ運搬車の車輪なども比較的洗いにくい箇所である。このようなところにバイオフィルムが形成された場合に、工場のあちこちにバイオフィルムから由来の微生物を撒き散らすことになってしまう。

工場でバイオフィルムのできやすい箇所としての荷車のタイヤ

さらに見落としがちなバイオフィルムの箇所としては蛇口がある。流しそのものは洗いやすい箇所である。しかし蛇口には特にたくさんの人の手が触れるので微生物のバイオフィルムが作りやすい箇所である。

工場でバイオフィルムのできやすい箇所としての蛇口

またそもそも工場を洗うためのスポンジやブラシおよび手袋などもバイオフィルムの温床になる可能性が高い。

工場でバイオフィルムのできやすい箇所としてのスポンジや手袋

また、食品工場にはボタンの配置した電気操作パネルがある。このボタン表面を清掃する機会は比較的少ない。このボタンに多くの工場の従業員が触れるので、このボタンには微生物が付着しやすい。このボタンの表面でも薄いバイオフィルムを作られてしまう場合がある。

工場でバイオフィルムのできやすい箇所としての操作パネルのボタン


 更に付け加えるならば、ブラシなどで傷のついたステンレス表面の目に見えない傷の中に有機物が溜まりそこに微生物のバイオフィルムができる場合もある

工場でバイオフィルムのできやすい箇所としてのステンレスの傷

以上のようにバイオフィルムは工場のあちらこちらでできる。バイオフィルムの存在を意識して工場を洗浄することを心がける必要がある

バイオフィルムの除去方法

 バイオフィルムに特別な除去方法や殺菌方法があるわけではない。別の記事でも述べたように食品工場における微生物の駆除の基本は洗浄にある。したがって一番重要なことはバイオフィルムを形成している箇所をまず見つけることである。 その上で物理的な除去やあるいは科学的な洗浄などでとにかくバイオフィルムを一つの有機物の汚れと捉えて洗浄除去することが肝要である。 また食品工場でできているバイオフィルムには脂質が多いものとか蛋白が多いものなどを食品工場の性質によってバイオフィルムと共存している有機物の種類が異なる。したがってその汚れの性質に応じて工場の洗浄を行うということが基本となる。洗浄行わずにバイオフィルムだけを殺菌しようとする考え方は誤りである。

※食品工場での殺菌の基本的考え方を記載した記事は下記をご確認ください。
食品工場-殺菌と洗浄どちらが重要か?