この記事では、ボツリヌス菌について説明する。
下記のドミノ倒し理解は、本ブログの基礎講座でグラム染色と微生物の性質の関係に関する基礎事項(簡単な記事が5記事あります)の理解した上で読んでください。そうすれば、ドミノ倒しは簡単に理解できます。
住処からドミノ倒しに理解する諸性質
個別の食中毒菌の性質を理解するためには、まず、それぞれの住処を理解することが重要である。住処を理解することによって、その他の性質はドミノ倒しのように連続的に理解できる。
1.ボツリヌス菌のの住処は土壌である。
2.従ってグラム陽性菌であると理解できる。
3.グラム陽性菌 なので毒素型食中毒菌と理解しやすい。
4.増殖の下限温度については低温で増殖できない。これは土壌細菌のような環境細菌の中では例外的特徴である。多くの環境細菌は低温でも増殖できる。しかし、ボツリヌス菌は環境に生息する微生物であるにもかかわらず低温で増殖できない。もちろんボツリヌス菌の中にも低温で増殖できるⅡ型が存在する。しかし、包装食品でもっとも重要なⅠ型は、冷蔵庫のような低温では増殖できない。この性質は真空包装などの包装食品の流通を考える場合に重要である。なお、ボツリヌス菌と包装食品の問題については微生物の制御の気相制御のセクションで後述する。
5.ボツリヌス菌はセレウス菌と同様には耐熱胞子を作る。 従って煮沸では殺菌することは不可能である。またボツリヌス菌の耐熱性胞子は極度の乾燥状態や極度の栄養欠乏状態でも生存し続けることができる。
6.酸素の要求性については、偏性嫌気性である。 前述したように、耐熱性胞子菌の中で偏性嫌気性菌のものをクロストリジウム属と分類する。ボツリヌス菌はクロストリジウム属に属している。
7.酸性についての耐性は pH 4.6程度である。この数字の持っている意味についても、微生物制御のセクションで後述する。
8.選択培地については、食品からのサンプル液を加熱し、それをさらに嫌気培養する方法が取られる。
以上を、ドミノ倒しのように連続的に理解するとよいだろう。
生物最強毒素のボツリヌス毒素
ボツリヌス菌は、生物毒の中で最強の殺傷能力を持つ神経毒をつくる。わずか4 kg で全世界の人類を殺すことができると考えられている。そのメカニズムは、私たちの神経細胞の連結部をブロックすることである。神経と神経のつなぎをチャンネルと呼ぶ。したがって、ボツリヌス毒素は神経チャネルブロッカーと呼ばれる。ボツリヌス毒素によって神経伝達が麻痺し、呼吸困難などによって死亡する危険がある。ボツリヌスとは、ボツリヌス毒素を産生する偏性嫌気性グラム陽性、胞子形成捍菌について与えられた種名である。ボツリヌス毒はタンパク毒であるが、毒素に対する抗原抗体反応(すなわち血清型)によりA,B,C,D,E,F,G型にわけられる。このうち、ヒトに食中毒をおこすのはA,B,E,およびF型にかぎられる。特にA、B、E型による食中毒が圧倒的に多く、F 型は希である。このようにボツリヌス菌は、毒素型によってAからGまでの型別で呼ぶのが一般的であるが、これらの型別はあくまでもボツリヌス菌が作り出す毒素の型別であり、ボツリヌス菌自身の生理的性状とは関係がない。生理的性状を理解する上で重要なことは、後述するようにⅠ型とⅡ型の理解である。
どのような食品が危険か?
ボツリヌス菌は土壌中に生息しているので、土壌の中から収穫した野菜類に汚染している可能性が高い。例えば、人参、だいこん、玉ねぎ、および芋などである。これらの野菜を煮沸した時が最も危険である。なぜならば煮沸によってほとんどすべての微生物は殺菌されるが、耐熱性胞子菌の胞子は生き残るからである。これらを真空包装することによって、ボツリヌス食中毒になる危険性が一段と高まる。煮沸することによってほとんどの競合する微生物は殺され、さらに真空包装することによってもう一つの耐熱性胞子形成細菌であるバチルス属の増殖を抑えるからである。
もちろん土壌から収穫した野菜のみにボツリヌス菌の胞子が汚染しているわけではない。ボツリヌス菌の胞子は私たちのあらゆる生活環境に存在していると考えなくてはならない。なぜなら、土由来の埃によって私たちの生活環境は汚染されているからである。例えば今この記事の読者の机の上にもボツリヌス菌の胞子が存在している可能性もある。
しかし、机の上にボツリヌス菌の胞子が存在し、その胞子を飲み込んでしまったとしても、ボツリヌス菌は 成人の腸の中で発芽し毒素を作ることはない。
そのメカニズムの詳細はまだはっきり解明されていないが、ボツリヌス菌の胞子がヒトの腸の中で発芽した後に、腸の中にいる多数の細菌との競争においてボツリヌス菌は勝利できないからだと考えられている。
しかし例外もある。それは一歳未満の乳児の場合である。乳児の場合には十分な腸内細菌が発達していない。一歳未満の乳児の体の中にボツリヌス菌の胞子が入った場合には、ボツリヌス菌の胞子が発芽しそして腸の中で活発に増殖をし、毒素を出す。これが乳児ボツリヌス症である。
Ⅰ型とⅡ型の理解
ボツリヌス菌を生理的性状でも大別する場合は、Ⅰ型、Ⅱ型という分別が重要となる。教科書的には、タンパク分解性であるボツリヌスⅠ型菌(毒素型ではA,B型)とタンパク非分解性のボツリヌスⅡ型菌(毒素型ではB,E,F型)と記述される場合が多い。しかし、食品衛生上重要なのはタンパク分解性ではなく、胞子の耐熱性と菌の増殖温度である。
Ⅰ型菌は10℃以下では増殖できない中温菌であり、また、胞子の耐熱性が高く、12Dの殺菌(1012細胞を1細胞に減少させる)には、120℃、4分相当の加熱が必要(F値4)である。したがって、常温流通を前提としたレトルト食品では、この殺菌条件が食品衛生法により義務づけられている。12Dの殺菌の意味については、微生物制御のセクションで後述する。
一方、タンパク非分解性のボツリヌスⅡ型菌(B,E,F型)はⅠ型菌と異なり、チルド環境下(10℃以下)でも増殖する点と、耐熱性は低く、90°C、20分程度で12 D の殺菌を行うことができる点が重要な相違点である。
なお、ボツリヌスⅠ型菌とⅡ型菌の増殖発育温度の違いや、耐熱性胞子の殺菌温度の違いは、現在流通しているチルド包装食品の開発において重要な形で関わってくる。ボツリヌスⅠ型菌が冷蔵庫の温度(チルド温度帯)で増殖できない夏型菌であるために、食品産業界はレトルト殺菌加熱条件を緩和したおいしいチルド流通食品を開発することができた。これは、幸運なことである。この点については微生物制御の気相制御のセクションで後述する。
なぜボツリヌス毒を出すのか?
さてここで食品微生物学のテーマから少しはずれるが、そもそもボツリヌス菌はなぜ人にとって危険な毒素を作り出すのだろうか?時々湖の湖畔で大量に鳥が死んでいる場合がある。死んだ魚の腐敗が進行すると腸の中には酸素が欠乏する。このような環境で川底の泥からのボツリヌス菌の胞子が発芽し増殖をし、ボツリヌス毒素を生産する。ボツリヌス毒素を含む魚を食べた鳥が中毒死すると考えられている。この例からもわかるようにボツリヌス毒素は人を標的としているわけではなく、自然界において鳥類なども被害にあっている。しかし、なお、なぜ鳥や人間を殺すボツリヌス毒素をボツリヌス菌がつくるのかの理由は明確ではない。