この記事では、現行の日本とEUの食品の微生物規格基準の違いについて、わかりやすく説明する。また、2021年6月、HACCP制度化にともない、弁当及びそうざいの衛生規範、漬物の衛生規範、洋生菓子の衛生規範等の一連の衛生規範が廃止された。これまで、EUの工程衛生基準に近い役割を果たしていた各種衛生規範がなぜ廃止されたのか、その背景について解説する。さらは、今後、EU、日本を問わず、食品事業者が対応すべき自主的な工程管理や自主検査の方向性についても解説する。
EUの食品の微生物規格基準
現行のEUの食品の微生物規格基準は、2005年に欧州委員会(EC)により採択されたものである。この規則では、2種類の基準が導入されている。
- 食品安全基準(Food Safety Criteria)
- 工程衛生基準(Process Hygiene Criteria)
食品安全基準(Food Safety Criteria)
目的
工場から出荷されて流通している製品に適用される、製品または食品のバッチの許容性を定義する基準。
- 基準を満たさない場合、その製品/バッチは市場から撤去されなければならない
検査対象微生物
EUの食品安全基準の個別食品毎の微生物規格の詳細については下記を参照されたい。
日本の微生物規格との主な違いには次のとおりである。
- EUの食品安全基準で規定されている細菌は食中毒菌のみである。主要3菌種は、サルモネラ、リステリア菌、エンテロバクター・サカザキの3菌種となる注1)。また、毒素としては、ブドウ球菌腸毒素、ヒスタミンなどに基準が設定されている。
- 一般生菌数、大腸菌、黄色ブドウ球菌などの、いわゆる指標菌は食品安全基準では設定されていない注2)。
- 注1)本規格(EC)2073/2005)が設定された後、2012年にドイツでもやしによる腸管出血性大腸菌O104の大規模食中毒が起きた。このため、 2013年に、上記3菌種に加えて、もやしに限定して、新たに、腸管出血性大腸菌の規格が追加されている(欧州委員会規則209/2013)
- 注2)例外として、生きた二枚貝では、指標菌の大腸菌が設定されている
工程衛生基準(Process Hygiene Criteria)
目的
製造工程が正常に機能していることを示す基準。工程衛生基準は、危害分析・重要管理点(HACCP)システムを用いた製造、取り扱い、流通の各プロセスが許容範囲内で機能しているかどうかを示す指標である。すなわち、工程レベルで適用されるものである。
- 基準を満たさない場合は、工程を見直し、改善しなければならない。
具体的には原材料の選定の見直しやCCPにおける管理条件の見直しなどである。
しかし、工程衛生基準は、出荷製品に対して行われるものではない。あくまでも、製造工程段階をモニタリングするための基準である。工場から出荷された後の流通製品には適用されない。
したがって、基準不適合であっても、製品のリコールには直結しない。
つまり、工程衛生基準はHACCPの手順が適切に機能しているか否かの検証の意味合いが強い。
なお、HACCPが正しく機能しているか否かの検証としての微生物試験に関する分かりやすい説明については、下記の別記事にまとめていますので、ご覧ください。
HACCP導入により微生物検査は必要なくなるの?どの微生物検査が残るの?
検査対象微生物
工程衛生基準においては、一般生菌数、腸内細菌科、大腸菌、コアグラーゼ陽性ブドウ球菌など、いわゆる衛生指標細菌が主な検査対象となる注)。
注)食肉および食肉製品においては、食中毒菌のサルモネラ菌も検査対象となる。
課題
衛生基準における微生物のサンプリングポイントは、基本的に次の2点となる。
- 菌数が最大になると想定される製造工程のタイミング(黄色ブドウ球菌のように耐熱性毒素産生菌の場合)
- 製造工程終点(ほとんどの場合)
工程衛生基準において、指標微生物を製造工程のどの時点で測定するべきかという点については食品類別によって異なる。下記にその代表的なパターンを示した。詳しく確認されたい人はEUの食品安全基準を直接ご覧いただきたい。
しかし、工程衛生基準の製造工程終点のサンプリングポイントのみでは、プロセス衛生基準の性質は、いわゆる「最終製品」基準と変わらないことになってしまう(EFSA、2007)。つまり、工程衛生基準の製造工程終点のみが考慮される場合、上述の食品安全基準(サルモネラしか設定されていない)に、実質、大腸菌を設定していることに近くなる。つまり、プロセス衛生基準と食品安全基準の間に潜在的な重複または類似性があることになる。
工程衛生基準には次の欠点もある。
- 個別製造工程毎の管理性能を判定できない。
- 最終汚染値が同じ製造工程は、すべて同様に効率的な衛生管理が行われていると暗黙に見なされてしまう。
この欠点を解消するためには、複数の段階の微生物サンプリングポイントを設定する必要が出てくる。しかし、このアプローチには、面倒なサンプリング計画が必要となる。これはすなわちHACCPにおける自主的なCCP管理計画とその検証モニタリング計画そのものとなる。
すなわち、 EUで設定されている工程衛生基準だけを実行していても、各製造工場のそれぞれの事情にあった複数の工程の管理の適性を判断するはできない。つまり、自前のスーツではなく、オーダーメイドのスーツを着ているようなものだ。
したがって、EUにおいては統一規格として 工程衛生管理が設定されているものの、これはあくまでも一つの目安(ガイドライン)と考えるのがよいだろう。 各製造工場で、自前でCCPの適性作動の モニタリング計画を 設定するのが、もっとも 効率的なやり方であろう。
つまりオーダーメイドのスーツではなく、カスタムメイドのスーツを着ることだ。
EUにおける工程衛生基準の使用は、HACCPに基づく手順やその他の衛生管理措置の実施に不可欠な要素であり、バリデーションや検証の目的も持っているとされている。しかし、上に説明したように、EUで設定されている工程衛生基準だけでは各工程毎の許容性を判定するのに十分ではない。食品事業者は、HACCPの原則に基づく衛生管理手順の一環として、必要なサンプリングおよび検査頻度を自ら決定する必要がある。
日本の食品の微生物規格基準
微生物規格基準
日本においては、特定の食品について微生物規格基準が設定されている。各種食品ごとの微生物規格基準については、厚生労働省のページを参照されたい。本記事では、日本の微生物規格基準を、EUの微生物規格基準(食品安全基準)と比較した場合の、大まかな特徴(違い)を述べる。
日本の食品の微生物規格基準が、上述したEUにおける食品安全基準と異なる主な点は、次の点である。
- 日本においては、食品の微生物規格基準に、一般生菌数、大腸菌群、E.coli、黄色ブドウ球菌などの指標菌が幅広く取り入れられている。一方、EUの食品安全基準では、上述したように、基本的にサルモネラ菌やリステリア菌などの食中毒菌のみである。
日本では工程衛生基準は設定されていない
日本ではEUのような工程衛生基準は設定されていない。すなわち、日本においてはあくまでも最終食品(流通食品)が、一定の微生物基準を満たしているか否かの基準があるだけである。
ただし、 2021年5月までは、下記の食品については、その製造の工程管理基準を定める衛生規範が設定されていた。 これらの衛生規範は、該当する食品の製造工程における管理ポイントも含めた定めになっている。従って、性格的にはEUにおける工程衛生基準に近かったといえる。
- 弁当及びそうざいの衛生規範
- 漬物の衛生規範
- 洋生菓子の衛生規範
- 生めん類の衛生規範
- セントラルキッチン/カミサリー・システムの衛生規範
弁当及びそうざいの衛生規範等の各種衛生規範等の廃止の背景
厚生労働省の2021年6月1日通知により、上記の衛生規範は全て廃止された。廃止理由は次のとおりである。
- HACCPの義務化により、食品等事業者自らが、衛生管理計画を作成し実行することになった。したがって、これまで国が特定の食品について定めていた「衛生規範」は不要となった。
つまり2021年6月において、下の図に示すように、日本においてはEUにおける食品安全基準に相当する微生物規格基準のみが存在している。EUの工程衛生基準に相当する各種規範はすべて存在しなくなったと状態といえる。
上記の状態で、果たして今後の、日本の食品の安全性は担保できるのだろうか?この点について以下に解説する。
町の区画整理を例に用いて説明する。
2021年5月以前においては、国が特に食中毒などの管理において重要と定めた一部の食品について、衛生規範が定められていた。街の区画整理で例えるならば、上に述べた5つの規範が下の図の赤の部分に相当する。
これらの衛生規範が存在している食品については、各県の衛生監視員などの指導も重点的に行われていた。規範という基準があるので、指導がしやすかった事情があるようだ(衛生監視員私信)。
しかし、日本で製造流通されている食品には、上記の衛生規範がカバーしていない食品の方がずっと多い。
衛生規範の存在してない食品に関しては、そもそも国が定めた基準が存在していないために、各県の食品衛生監視員の指導もしにくかったという事情がある。また、日本における細菌性食中毒の多くは、これらの衛生規範の存在していない食品で起きている。
そこで、2021年6月にこれらの衛生規範が全て廃止された。
さて、そうなると、 2022年現在、次のような事態がおきている。
- 各県の食品衛生監視員は、微生物基準等の指導根拠がなくなったことで、衛生規範が廃止された食品については、これまでのような収去検査などの重点監視を行う理由がなくなった。
- 一方、これまでの衛生規範の対象食品事業者も、今後は、何を基準に衛生管理をしていけばよいのか分からない状態になった。
一方で、衛生規範の廃止によって、次のようなメリットが生じる。
- これまで衛生規範の網のかかっていた食品とかかっていてなかった食品の区別が亡くなった。今後は各都道府県の衛生監視員も、すべての食品事業者について、一律にHACCPがうまく実行されているかどうかの管理やアドバイスを行えることになった。
- 衛生規範は包括的なガイドラインのようなものであった。したがって、各食品事業者にとっては、その内容が網羅的複雑多岐にわたり、必ずしも、 各事業者毎の事情にマッチングしたものでわなかった。これを廃止することによって、今後は各食品事業者に各自に見合ったオーダーメイドの衛生管理を促せるようになった。
今後、日本の全食品事業者が行うべき事
とは言え、衛生規範が廃止され、現在、日本においては、EUのような工程衛生基準もない。したがって、衛生管理上の空白状態が生じる可能性も否定できない。今後はこれらの空白状態を埋めるために各食品事業者が、自主的な工程管理の基準を設置し、微生物の自主検査を行っていくことが求められている。
ただし、自主的な平成工程管理や自主検査と言われても、特に、小さな零細企業については、正直どのように取り組んで言ったらよいのか、よく分からないというのが実情もあるだろう。
また、これまで衛生規範の存在していた食品においては、衛生規範が廃止された為に、今後は衛生規範がない状態で、どのように衛生管理をしていけばいいのかと、迷っている企業の食品安全担当者も多いだろう。
ただし、現時点では、これまで衛生規範の存在していた食品については、食品営業者への衛生指導のための参考値として、衛生規範で示された数値を使用している都道府県も多いようだ(例、横浜市、他)。また、食品事業者への助言も、衛生規範の内容を尊重しながら、自主的な衛生管理を行うということを推奨しているケースも多い(例、茨城県、埼玉県食品衛生協会、他)。
また、今回のHACCPに関する食品衛生法改正の伴い、厚生労働省は、にわかにHACCPの完全導入が難しい小規模事業はについては、次のような措置も行っている
- 大規模な事業者には「HACCPに基づく衛生管理」としているが、小規模な事業者には「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理」としている
- 具体的には、小規模事業者の属する業界団体が一括で作成した手引書(厚生労働省が内容確認)に従った管理を行えば、とりあえずは良い
とは言え、衛生規範は包括的な衛生規範である。また、今回のHACCP施行に伴って各業界が作成した手引書も包括的なものであり、各小規模事業者の食品製造の状況にぴったり合っているとは限らない。
従って、一つ一つの食品事業者にとって、情報が多すぎて焦点が絞りにくい点は否定できない。すなわちEUにおける工程衛生管理と同様に、オーダーメイドの背広を着ているような状態に近い。
今回の動きは、国が定めた衛生規範による管理が自由化されたと捉え、食品事業者自身で自らが、カスタムメイドの自主的な管理設定をするチャンスととらえるべきだろう。
つまるところ、今後、各食品事業者は廃止された衛生規範の基準のみに機械的に従うのではなく(大いに参考にすべきであるが)、自分の会社の製品の製造工程に見合った自主衛生管理基準を必要がある。各県の衛生監視員や食品衛生協会なども助言を行っているようなので利用すると良いだろう。
HACCPにおける工程管理は、自主検査によるモニタリング・検証が基本である。
HACCPにおける微生物モニタリング検査の意味については下記記事でわかりやすく説明しているので、ご覧いただくとよい。
HACCP導入により微生物検査は必要なくなるの?どの微生物検査が残るの?
まとめ:マニュアルに従うのでなく、食品微生物学の基礎知識を身につける
上に述べてきたように、HACCP義務化と衛生規範の廃止により、工程管理のいわば自由化の時代に入った。
今後は、各食品事業者は自主的に各事業者の事情に合わせたカスタムメイドのの工程管理を設定する自由裁量が認められる。その反面、マニュアルに表面的に従うのではなく、その根拠となる基礎知識が必要となってくる。すべての食品事業者は食品微生物の基礎を学ぶ必要がある。本ブログもその一助となれば幸いである。