日常的に使っている携帯電話には、知らないうちに数多くの微生物が付着しているかもしれません。一体どのような微生物がそこに潜んでいるのでしょうか?また、携帯電話が病原微生物の感染原因になる可能性はあるのでしょうか?ここでは、2005年から2019年にかけて出版された研究結果を基に、携帯電話に付着する微生物の実態に迫ります。
Matthew Olsen et al.
Mobile phones represent a pathway for microbial transmission: A scoping review
Travel Med Infect Dis. 2020 May-June; 35: 101704(2020)
この論文はPubMed Central(PMC)で無料公開されています。
ボンド大学健康科学・医学部のオルセン博士らは、日常的に使っている携帯電話上の微生物叢について、調査を行いました。
調査方法
- 2005年1月~2019年12月に検索(PubMed&GoogleScholar)を行い、英文で書かれている論文を対象としました。論文中に、携帯電話における微生物叢(細菌、真菌、および/またはウイルス)を扱っているものを対象としました。
- その結果、合計56論文が抽出されました(24カ国)。
- 調査対象の携帯電話は(1)病院環境由来、(2)一般環境由来にわけて、結果を整理しました。
結果の概要
一般環境(市中)
一般環境由来の携帯電話では、5%以上の頻度で以下の2つの細菌が検出されました。
- ミクロコッカス(2815本のスワブから148株)注1)
- 表皮ブドウ球菌(Staphylococcus epidermis)(218/2815本)注2)
注1)ミクロコッカス(Micrococcus):グラム陽性の球状細菌で、通常は皮膚や口腔、上部呼吸道、および自然環境(土壌など)に存在します。食品微生物学の立場からは、乾燥食品や冷凍食品などの腐敗菌の一部を構成するものの、健康被害はもたらさず、無害。また、医学的も、ミクロコッカスは通常は人間自然な皮膚の細菌叢の一部を形成しており、常在菌と見なされます。ただし、免疫系が弱っている人や重篤な基礎疾患を持つ人では、稀に感染症を引き起こすことがあります。
注2)表皮ブドウ球菌:手のひらの常在菌。これらの細菌のついては下記の記事もご覧ください。
消毒のしすぎ、手荒れに注意ー皮膚の善玉常在菌の表皮ブドウ球菌の役割
病院環境
次の3種は、病院環境における携帯電話の3分の1以上に存在していました。
- メチシリン耐性黄色ブドウ球菌 注3)
- アシネトバクター 注4)
- バチルス属菌 注5)
注3)メチシリン耐性黄色ブドウ球菌:メチシリンや他の関連する抗生物質に対する耐性を持つ多剤耐性菌の黄色ブドウ球菌。MRSA(Methicillin-Resistant Staphylococcus aureus)とも呼びます。このような黄色ブドウ球菌が日和見感染を起こした際、抗生物質が効かず、重篤な感染症、例えば肺炎、骨髄炎、心内膜炎、敗血症などを引き起こします。
注4)アシネトバクター:グラム陽性の菌で、一般的には環境中に広く分布しています。食品微生物学の観点から見ると、肉製品や魚製品などの冷蔵保存食品における腐敗を引き起こす可能性はあるものの、食中毒をおこすことはありません。また、医学的にも、この菌は健康な人々には感染症を引き起こすことは少ないです。しかし、免疫系が弱っている人や医療施設で治療を受けている人々(特に侵襲的な医療処置を必要とする人々)では、特にAcinetobacter baumanniiは、感染症が問題となります。この菌は多剤耐性を持つことで知られ、重症の肺炎や血液感染症(敗血症)、傷口感染、尿路感染などを引き起こすことがあります。
注5)バチルス属(Bacillus):一般的に土壌や水などの自然環境に広く分布している、グラム陽性の棒状菌で、一部の種は芽胞を形成する能力を持っています。バチルス属には多くの種が含まれており、食品微生物学的には、納豆菌のような有用なものから、枯草菌のような米飯の腐敗の原因菌、さらには、セレウス菌のような食中毒菌も含まれます。また、医療微生物学の観点から見ると、バチルス属の中でも特に炭そ菌(Bacillus anthracis)は重要です。
一般環境と病院環境共通
次の7種は、一般環境、医療環境を問わず、いずれの環境由来の研究の4分の1以上で検出されました。
- 黄色ブドウ球菌
- コアグラーゼ陰性ブドウ球菌
- 大腸菌
- クレブシエラ・ニューモニエ
- 緑膿菌
- バチルス属
- メチシリン耐性黄色ブドウ球菌
さらに以下の3種は病院環境由来と一般環境の両方で、3分の1以上の研究で確認されました。
- 黄色ブドウ球菌
- コアグラーゼ陰性ブドウ球菌
- 大腸菌
博士らの考察
これらの結果から、博士らは、特に病院環境における携帯電話による感染にリスクについて次のように考察しています。
1.携帯電話は、使用頻度が高く、手や顔に触れることが多く、動作中はしばしば微生物の生存や増殖に適した温度まで加熱されることがある。
2.携帯電話の洗浄・消毒は一般的ではなく、72%の携帯電話ユーザーは携帯電話の洗浄・消毒をしたことがない(博士らの.未発表データによる)。
3.病院で働く臨床スタッフが勤務中に携帯電話を使用しているのに、特に携帯電話によるリスクを管理するための一般的な国内外のガイドラインが今日まで作成されていないことは、大いに問題である。
博士らは、各国の公衆衛生当局が世界中の政府や地域社会に対して、すべてのユーザーが携帯電話を消毒するための対策を積極的に助言することを強く推奨しています。この取り組みは、手洗いの効果を促進する世界的な公衆衛生キャンペーンと連動させるべきですが、洗った手が微量に汚染された携帯電話と定期的に接触する可能性を考慮すると、手洗いの効果を台無しにしてしまう可能性があるとしています。携帯電話は、各ユーザーが使用し、持ち運び、地域社会や職場に持ち込むことができる微生物の「トロイの木馬」注)であり、感染症の発生の原因になる可能性があるとしています。
注)トロイの木馬:トロイの木馬は、ギリシャ神話に登場するエピソードに由来しています。トロイの戦いでギリシャ軍が勝利するため、木馬の中に隠れていた兵士たちがトロイ市に持ち込まれ、夜間に出てきて城門を開けることで、トロイを陥落させました。この故事から、「トロイの木馬」は内部に危険が潜んでいることを意味する表現として使われます。博士らは、携帯電話が微生物を「トロイの木馬」として捉えており、その携帯電話が人々によって持ち運ばれ、地域社会や職場に微生物の感染を広める可能性があることを強調しています。