日本でも米国でも生の鶏肉を原因とするサルモネラ菌やカンピロバクターの食中毒は深刻な問題です。ただし、鶏の生肉は、消費者が加熱調理をする前提で販売しています。したがって、これまで生の鶏肉については、サルモネラ菌やカンピロバクターに関する微生物基準は設定されていません。 これに対して米国ではかねてから消費者団体や有名弁護士事務所が農務省に対して微生物規格基準を設定するように、強い要望書が提出されていました。この度、パン粉をまぶした生鶏肉について、初めてサルモネラ菌についての微生物規格基準が設定されることになりました。
2022年8月1日の米国農務省の発表
米国農務省(USDA)食品安全検査局(FSIS)は 2022年8月1日、パン粉をまぶした生鶏肉製品に含まれるすべてのサルモネラ菌を「検出してされてはならない細菌」として指定することを発表しました。
トム・ヴィルサック農務長官は、「この重要な第一歩は、米国内の鶏肉に関連するサルモネラ菌感染症を減らすためのより幅広い取り組みを開始する第一歩である。」と述べています。
今回の米国農務省の告知により、サルモネラ菌高濃度汚染した鶏生肉を用いたパン粉をまぶした生鶏肉製品を消費者に販売ができなくなります。
生鶏肉を対象とした規制の背景
これまでに米国では、鶏肉の生肉に関してのサルモネラ菌やカンピロバクターの存在を問題視して、微生物規格を設定するような要望書は以前から、食中毒事件被害者の立場に立った有名弁護士事務所や消費者団体から米国農務省(USDA)食品安全検査局提出されていました。
今回特に、パン粉をまぶした生鶏肉製品を鳥の精肉製品への微生物規格設定の第1歩とした理由は、 パン粉をまぶした生鶏肉製品で 1998年以降、最大で14件のアウトブレイクと約200件の疾病に関連しているからです。このカテゴリーの製品は冷凍食品です。これらの製品は一見調理されているように見えますが、衣やパン粉を固めるためにのみ熱処理されています。つまり、製品には生の鶏肉が含まれています。
このことを知らせる製品表示だけでは消費者の食中毒リスクを減らせないと判断してのことです。
パン粉をまぶした生鶏肉への微生物規格基準の概要
今後は、生の鶏肉にパン粉や詰め物をした製品は、一定基準値以上の高濃度のサルモネラ菌汚染を超えると粗悪品と見なされ、規制措置の対象となります。具体的に予定されている基準値は以下の通りです。
- 製品の制限値を1g当たり1コロニー形成単位(CFU)のサルモネラ菌を超えてはならない。
このレベルは、これらの製品を消費することによる病気のリスクを大幅に減らすと米国農務省(USDA)食品安全検査局は考えています。
この点については、さらに規制を厳しくしてゼロ・トレランス( 25gあたり1cfuのサルモネラが検出されてはならない)にする可能性や、特定の血清型に基づく基準など、別の基準がより適切であるかどうかについてもパブリックコメントの意見などを参考に決定して行く予定のようです。
この通知は秋に連邦官報に掲載される予定で、米国農務省食品安全検査局は基準のあり方や、検証試験プログラムを含む最終的な実施計画についてパブリックコメントを募集する予定です。公示後、この通知は米国農務省食品安全検査局の連邦官報・規則制定ページに掲載され、検討と意見募集が行われます。この提案が最終決定された時点で、米国農務省食品安全検査局は最終的な実施計画およびこれらの製品に含まれるサルモネラ菌の定期検査の開始日を発表する予定にしているようです。
これまでに提出されていた米国消費者団体の要望書
公益財団法人科学技術振興機構、 STOP Foodborne Illness、米国消費者連盟、及びコンシューマーレポートの各団体は共同で、 2021年1月25日に、米国農務省食品安全検査局に対し、鶏肉中の全てのサルモネラ菌とカンピロバクターを減少させるための強制力のある微生物規格基準を設定するための嘆願書を提出しています。
これまでもこれらの団体は、この嘆願書を継続的に提出してきました。しかし、これまでは、これらの嘆願書はすべて、米国農務省食品安全検査局に省却下されてきました。その理由は、次の通りです。
- 鶏の生肉サルモネラ菌やカンピロバクターの汚染を養鶏場の川上から完全に根絶することは現状では難しい。養鶏業団体や流通業団体などの反発も相当に予想される。
- 鶏の生肉は、消費者が加熱調理をする。したがって、 これらの病原菌の最終的に消費者の口に入る段階で殺菌される。したがって、鶏の生肉そのものにおけるサルモネラ菌やカンピロバクターの汚染は、直接的な被害をもたらしているわけではない。
このような反論を米国農務省はこれまでしてきました。
しかし、生肉を原因とする二次汚染や加熱不足による食中毒が一向に減らず、消費者団体や食中毒被害を弁護する弁護士事務所などの不満がここ数年、特段に募っていました。
下記に2021年版の嘆願書の要点をします。
- 食中毒の中でも特に負担の大きいカンピロバクターとサルモネラ菌による食中毒の年間発生率を減らすという米国の目標は過去20年間を振り返ってみてもほとんど達成できていない。カンピロバクターは、サルモネラ菌に比べて入院や死亡に至ることは少ないものの、感染者はギラン・バレー症候群や過敏性腸炎などの重篤な合併症を引き起こす危険性がある。
- この2つの病原菌による食中毒が減少しない理由として、生鶏肉にサルモネラ菌やカンピロバクターの強制力ある微生物規格基準が無いことが原因だ。
- 生の鶏肉に サルモネラ菌やカンピロバクターの強制力のある微生物規格基準を設定すべきである。
- 非検出またはゼロトレランスの基準は、現在の鶏肉中におけるサルモネラ菌やカンピロバクターの高い汚染率を考慮すると、特にサルモネラ菌については、サルモネラ菌全体では難しいかもしれない。しかし、特定の優先血清型(そのいくつかは極めて低い分布率)についてはより容易に達成できる可能性がある。
- 米国農務省は、ゼロ・トレランス基準を時間をかけて段階的に導入することも選択できる。短期的な削減目標を提供する一方で、業界が鶏肉生産から対象血清型を効果的に排除するための追加管理を実施した後にゼロ・トレランス基準を適用するタイムラインを設定することも可能なはずである。
今回の米国農務省の対応は、これらの嘆願書の一部にようやく答えた形となります。しかし、今回の決定は、これらの嘆願書の全ての要望に対して答えているわけではもちろんありません。今回の微生物規格はサルモネラ菌だけであり、また、生の鶏肉全体に微生物規格を設定したわけではありません。しかし、生鶏肉のサルモネラ菌やカンピロもバクターの微生物規格基準の第一歩を踏み出した言えそうです。
今回の決定に関して米国鶏肉業界からの反論
全米鶏肉協会は米国農務省の発表の同日(2022年8月1日)、以下の反対声明を発表しました。科学・規制問題担当上級副社長Ashley Peterson, Ph.D. によるものです。
反対声明の要点は次のとおりです。
- 全米鶏肉協会(NCC)と会員企業は、サルモネラ菌を減らし、公衆衛生を守るために、数百万ドルを投資し、10年以上にわたり、これらの製品に関する最善策の開発と改良に取り組んできた。これらの努力は、過去7年間の疾病の大幅な減少によって実証され、成果を上げている。
- 2015年以降に1件のアウトブレイクが発生しただけの製品カテゴリーについて、裏付けデータなしに行われた長年の政策の突然の転換がもたらす前例が作られてしまう事に、懸念を表明する。
- 今回の規格基準の設定は、鶏肉加工工場を閉鎖し、雇用を犠牲にし、安全な食品と便利な製品を棚から取り上げる可能性がある。
- 今回の農務省の発表が科学的根拠やデータに基づいたものではないことも同様に懸念している。
- 食品の安全性には、銀の弾丸や万能のアプローチはない。私たちの食品が100%安全であることを保証する唯一の方法は、鶏肉の飼育と加工において科学的根拠に基づく手順を踏むこと、そして家庭で適切に取り扱い、調理することである。
以上ような業界団体からの反論はとりあえず提出されています。
しかし、米国全体的な流れとしては、今後は生の鶏肉に対しての微生物規格基準の設定の方向の流れは止められそうにありません。
※この記事には、そのぼの米国農務省の発表に関する続編(2023年5月公開版)があります。下記記事もご覧ください。
新基準!米国でパン粉をまぶした生鶏肉にサルモネラ菌の微生物規格設定
すでに鶏生肉に厳しい規制を課しているEU
生の鶏肉に関しては、EUは、すでに、米国や日本よりも厳格な微生物規格基準を設定しています。 EUも2010年までは、鶏肉に微生物規格基準が設定されていませんでしたが、 2011年12月に特定の血清型(Salmonella EnteritidisとSalmonella Typhimurium)については25g当たり検出されてはならない(検査試料数n=5)という基準が食品安全基準に組み込まれました。このような厳しい鶏の生肉に対するEUの基準がブラジルとの鶏肉をめぐる貿易摩擦にも発展しています。
さて、日本では?
日本においても、上記の米国農務省と同じような考え方から、現在、生の鶏肉にはサルモネラ菌やカンピロバクターの微生物規格は設定されていません。しかし、今回の米国農務省の対応にも見られるように、世界的にサルモネラ菌やカンピロバクターの鶏肉汚染に関しての問題意識が高まっています。
特に、日本のように鶏肉を生食を好む国民が多い国注)においては、なおさら、鶏生肉におけるこれらの病原菌の汚染率や汚染量については高い衛生基準で運用することが求められます。日本でも、方向性としては、今後、この問題についての議論が必要になっていくでしょう。
注)「生食用食鳥肉の衛生基準」は特に鶏肉の生食を好む人が多い鹿児島県と宮崎県の2県が設定しています。しかし、全国的には基準は設定されていません。現時点では、厚生労働省は食品事業者に生食用の鶏肉が提供しないように、また消費者には生食はしないように注意喚起を行っているにとどまります。
なお、カンピロバクターの鶏肉を汚染の低下をする試みに関しては、英国の試みも参考になりますので、下記記事もご覧ください。
鶏肉のカンピロバクターの汚染をめぐる英国大手スーパーの熾烈な公表競争と小規模小売店舗の汚染格差の実態