前記事で、なぜノロウィルスの変異株が出現するのかの仕組みとして、長期感染の免疫弱者に関する論文を紹介しました。しかし、ウイルスの変異株の誕生と変異ウイルスが自然界に拡大する現象は区別して考える必要があります。今回紹介する論文は、RNAウイルスの変異株の出現、およびその後の選択圧(宿主の免疫力)と自然界での拡大の関係を理論的に提示したものです。ウィルス研究者の間で何度も引用をされている重要論文です。

 免疫不全者が強力な抗ウイルス抗体反応を起こすことができない場合、RNAウィルスは宿主からの免疫を回避します。その結果、ウィルスは患者体内で分裂をしつづけ、結果として新しい遺伝子型への変異のチャンスは高くなると考えられます。

 しかし、ここで問題となるのは、このように誕生した新しい変異株が果たしてウイルス種の中で優勢になれるのか、という点です。新しい変異株が古い遺伝子型を抑えて優占型となるためには、古い遺伝型を抑える免疫力(選択圧)が必要です。しかし、そもそも長期感染者は免疫力が弱いので、免疫による強い選択圧はありません。したがって、新しいで遺伝子型の変異株が出現しても、それが古い遺伝子型を置き換えるような形で優占勢型になる可能性は低いと推定できます。

 そこで、ケンブリッジ大学のグレンフェル博士らは、新しい遺伝子型の発信基地となりやすいのは、重度の免疫弱者ではなく、中度の免疫弱者であるといモデルを提案しました。

ノロウィルスの変異が起きやすい中程度に免疫が弱い患者

この考え方は、
1)免疫力のある健常人では強固な免疫反応がウイルス複製を完全に抑制するので、そもそも変異株ウイルスは出現しにくい。


2)重度の免疫力弱者では長期感染によりウィルスの変異型が生じるチャンスが多い。しかし、その変異体のみを親の遺伝子型の中から選択する選択圧(免疫力)は弱い。つまり、重度の免疫弱者の体内では、古い遺伝子型も大量に増殖し続けることができる。


3)軽度の免疫弱者はウイルス複製を完全に抑制することができず、変異型を生じる可能性がある。一方、ある程度の免疫力があるので、古い遺伝子型を排除する選択圧がある。一方、変異株は古い遺伝子型を標的とした宿主からの免疫選択圧を受けない(受けにくい)。その結果、軽度の免疫弱者の体内では、変異株が、古い遺伝子型に代わってウィルスの中で優占種になりやすい。その結果、新しい変異型を環境に放出させる可能性が、3者のなかでは、もっと高い 。

というのが要点です。

 この理論は、広くRNAウィルスの感染全般に適用できるモデルとして博士らは提唱しています。新型コロナウイルスについても、今後、オミクロン株以外にも、さらなる新しい遺伝子型が登場することが危惧されますが、その発信源はどこにあるのかということをいち早く察知するためにも、このような新型ウィルスの変異の発信源(リザーバーとも呼びます)に関する知見を蓄積することはとても重要な研究分野です。

この論文は2004年に出版され、これまでに809回引用されています(2021年10月Scopus調査)。
Unifying the epidemiological and evolutionary dynamics of pathogens
Science, 2004 Jan 16;303(5656):327-32.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/14726583/

※この記事は公益社団法人日本食品衛生学会の会員限定メールマガジンで私が2020年11月1日号に執筆した記事を、学会の許可を得て、メルマガ発行以後1年以上経ったものについて公開しています。ただし、最新状況を反映して、随時、加筆・修正しています。 。