本記事では腸炎ビブリオ(Vibrio parahaemolyticus)の特徴について分かりやすく説明する。なぜ腸炎ビブリオは海洋細菌であるのにも関わらず人に感染するのか?哺乳動物の体温に強く、低温に弱いという海洋細菌らしからの性質、真水では弱いという海洋細菌らしい性質、日本の寿司文化との関係、腸炎ビブリオの症状や潜伏期間、治療法、食品中での検査方法などについてすべて総合的に関連付けて解説する。
下記のドミノ倒し理解は、本ブログの基礎講座でグラム染色と微生物の性質の関係に関する基礎事項(簡単な記事が5記事あります)の理解した上で読んでください。そうすれば、ドミノ倒しは簡単に理解できます。
住処からドミノ倒しに理解する諸性質
個別の食中毒菌の性質を理解するためには、まず、それぞれの住処を理解することが重要である。住処を理解することによって、その他の性質はドミノ倒しのように連続的に理解できる。
1.腸炎ビブリオはコレラ菌とともにビブリオ属に属する菌である。ビブリオとは”コンマ“の意味で、小さいコンマ状の桿菌であることからこの名前がつけられている。腸炎ビブリオの主な住処は海に住む魚などの動物の腸内である。もちろん、海水中などにも浮遊している。
2.水の環境なので、腸炎ビブリオはグラム陰性菌と理解できる。
3.グラム陰性菌であるので感染型食中毒菌と理解できる。腸炎ビブリオのような海洋細菌が陸上の哺乳動物に感染型食中毒を起こすということは極めて例外的な現象である。この点については後述する。
4.最適増殖温度は37°Cである。この点も海洋細菌としては例外的な特徴である。
5.グラム陰性菌であるので乾燥や熱などの物理的ストレスには弱い。
6.酸素の要求性については海の動物の腸内細菌なので通性嫌気性である。
7.酸に対する耐性も特徴的である。これまで陸上に住む哺乳動物の腸内細菌である腸管出血性大腸菌やサルモネラ菌は通性嫌気性菌なので酸に対して強いと説明した。したがって腸炎ビブリオもまた酸に対して強いと理解するのが自然である。しかし、腸炎ビブリオは実際のところ酸に対しては強くはない。むしろアルカリ性に対して強い。この理由は、腸炎ビブリオの生息域である海水の pH にある。一般的に海水の pH は淡水よりも0.5以上高い。平均的な淡水の pH が7.2から7.5であるが、海水の場合は8.0から8.2ぐらいである。このように海水の pH が高いので、そこに生息する海洋細菌である腸炎ビブリオも酸性よりはアルカリの方に強いという性格を持っている。
8.また、腸炎ビブリオはグラム陰性菌と同様に化学的薬剤には一般的には強い。従って腸炎ビブリオの選択培地を作る場合には胆汁酸などの疎水性官能基を持った化合物を使うことが可能である。
9.腸炎ビブリオの選択培地の代表的な培地である TCBS 培地の選択の原理はアルカリ性ということになる。このように培地をアルカリ性にしておくことで、同じようにグラム陰性菌である大腸菌やサルモネラ菌などが増殖できなくなるように工夫している。
以上を、ドミノ倒しのように連続的に理解するとよいだろう。
症状と治療
腸炎ビブリオに汚染された食品を食べてから約12時間後( 8時間~24時間)に症状が生じる場合が多い。 主な症状は感染型食中毒の共通の症状であり、すなわち、腹痛と下痢になる。また腹痛下痢に伴って発熱や嘔吐が伴う場合もある。
※感染型食中毒菌の潜伏期間や発症パターンの基礎については下記の記事をご覧ください。
グラム陽性菌と陰性菌の特徴ー感染型食中毒と毒素型食中毒
腸炎ビブリオ食中毒の場合には特に抗菌薬の治療を行わなくても数日で回復する場合が多い。
腸炎ビブリオは海洋細菌と陸上細菌の性質をハイブリッドで持っている
腸炎ビブリオの生息環境は海水であり、その増殖に塩分を要求する。つまりれっきとした海洋細菌である。元来、海で生息している海洋細菌の中には、ヒトが食べ物と一緒に摂取しても食中毒を起こすことはない。その理由として、陸上動物の腸内と海洋環境では全く環境が異なるからである。例えば、栄養物の濃度も陸上の哺乳動物の腸内環境ではスープを数千倍に薄めたような濃度であるが、海洋環境では逆にそれを数千倍薄めた濃度でしか有機物は存在しない。哺乳動物の体内の温度と海水の平均温度は20℃以上違う。
このように環境が異なるために、海洋環境の微生物が陸上動物の腸内の中に入っても、陸上動物の腸内細菌と戦うことは不可能である。したがって、海水由来の細菌が食中毒を起こすことはない。例外が腸炎ビブリオやコレラ菌である。
海洋細菌らしからぬ性質
以下に腸炎ビブリオが海洋細菌であるにもかかわらず陸上細菌とのハイブリッドの性質を持っている不思議な点について主な点を挙げてみる。
海洋細菌なのにヒトに感染する
人間の腸内(37℃)で増殖をし感染を起こすような菌は、このような環境に適応しているはずであり、そのほとんどは、他の陸上温血動物の腸内をすみかにするような菌(腸管出血性大腸菌O157、サルモネラ菌など)である。
ビブリオ属は海洋細菌である。上述したように、海洋環境と陸上動物の腸内環境は環境条件が大きく異なるので、海洋細菌が哺乳動物の腸内に侵入しても感染を起こすことは基本的に出来ない。にもかかわらず、腸炎ビブリオは人に感染を起こす。この点では海洋細菌出しからぬ性質をもっているといえる。腸炎ビブリオは海洋細菌の中でも、数少ない例外の一つといえる(もう一つの例外はコレラ菌)。
腸炎ビブリオは海洋から陸上へ進化を遂げようとしている途上にある細菌なのかもしれない。
哺乳動物の体温で大腸菌よりも増殖が速い
腸炎ビブリオのような海洋細菌は、魚とともにと冷たい水の中に生息している。にもかかわらず、 37℃で増殖をすることができる。腸炎ビブリオの本来の澄川海洋環境である。海水は本帯域の真夏であっても、28°C程度以上に上がることはない。また、冬では平均的には10°以下である。このような環境に生息している海洋細菌がなぜ37°Cという高い温度でこのように速い分裂速度で増殖できるのかについては謎である。
また、腸炎ビブリオを、例えば真夏の外気温30℃などの条件下に置くと、18分に一度の速度で分裂する。この速度は、腸管出血性大腸菌O157やサルモネラ菌など他の食中毒菌と比べても圧倒的に速く、分裂速度という点ではトップクラスの食中毒菌である。
今、1切れの刺身に10細胞の腸炎ビブリオが付着していたと仮定する。この程度は日常的にありうる汚染量である。この刺身を30℃の食卓に置いておくと、3時間後に1万細胞となる。すなわち、その刺身を10切れ食べれば、10万細胞の腸炎ビブリオを食べることになる。
このように腸炎ビブリオは夏季の室温では他の食中毒菌に比べても極めて早い増殖をするというのが特徴で、刺身など生鮮魚介類を食べる際に私たちが腐敗臭を感じる前の段階で、既に食中毒発症菌量に達しているケースも多い。このことが生魚での腸炎、ビブリオによる食中毒を防ぎにくい理由でもある。
冷蔵庫の温度(10℃以下)では増殖できない
一方、この菌は冷蔵庫の温度(10℃以下)ではほとんど増殖できない。腸炎ビブリオは海を本来の住処とする海洋細菌であるにも関わらず、 このように低温には弱いということも、不思議である。なぜならば、ほかのビブリオ属細菌やその他の海洋細菌は、基本的には冷蔵庫の温度(10℃以下)では増殖可能な細菌が多いからである。
※環境細菌と温度との関係については、下記の記事をご覧ください。
自然界ではむしろ低温菌が主流である
腸炎ビブリオは環境細菌としてはきわめて特殊であり、いわば夏草に相当するような微生物と言えるかもしれない。事実、腸炎ビブリオ食中毒の発生は日本においては夏季に集中している。
いずれにしてもこのような性質がなければ、日本に寿司文化は発達しなかっただろう。なぜならば、もし腸炎ビブリオが冷蔵庫のような低温でも増殖することができるなら、わたしたちは魚を生で食べるた時に腸炎ビブリオによる食中毒に頻繁にかかってしまったと想定できるからである。
海洋細菌らしい性質
真水で洗うと死滅する
腸炎ビブリオは真水で洗うと死んでしまう。この点では、大腸菌などの陸上細菌と異なり、海洋細菌らしい性質を持っているといえる。しかし、ここでも不思議なのは、なぜ人の腸内環境(塩分濃度は、生理的食塩水の濃度0.85%程度)で、大腸菌よりも早い増殖速度で増殖できるのかという点である。食塩0%では死滅するが、生理的食塩水の塩分濃度0.85%ではすばやく快適に増殖ができるということになる。このような狭い塩分範囲で異なる挙動を示す細菌も珍しい。
日本では激減、世界では増えている腸炎ビブリオ中毒
最近は世界中で腸炎ビブリオの食中毒増加傾向にある。これは世界中で寿司や刺身などを食べるようになった事とも関連するだろう。しかし日本では逆に腸炎ビブリオの食中毒は2000年以降激減し、現在ではほとんど食中毒が起きていない。下の図は、1996年から2022年までの日本における腸炎ビブリオの食中毒発生件数と、また同時期における世界における腸炎ビブリオに関する論文の出版数を同じグラフにまとめてみたものだ。この図からとても興味深いことがわかる。
- 日本では過去20年間に腸炎ビブリオによる食中毒発生件数はは激減しているが、世界では増加しているということだ。
上の図の腸炎ビブリオ食中毒発生件数は、厚生労働省食中毒統計のデータを元にから作図した。腸炎ビブリオの出版論文数は、スコーパスによって調査したデータから作図した。
なぜ日本では腸炎ビブリオ食中毒発生件数は激減したのか?
ではなぜ日本だけで腸炎ビブリオの発生件数が過去20年激減しているのだろうか?
その理由について詳しく解説をした論文があるので、詳細は下記をご覧にいただくとよい。
日本における腸炎ビブリオ食中毒の急激な減少と対策効果の検証
日本食品微生物学会雑誌 Jpn. J. Food Microbiol., 30(4), 177‒185, 2013
2000年に日本の厚生労働省が制定した規則によると考えられる。ガイドラインのポイントは以下の通り
- 魚介類を洗浄加工する際には、殺菌海水、人工海水、または飲料水を用いることとした。
- 魚介類の流通保管時の温度を10°C以下に設定した。
- 魚介類の腸炎ビブリオ菌数を衛生指標として成分規格として設定した。
- 消費者へのリスクコミュニケーション
以下にそれぞれのポイントについて簡単に説明して行く。
魚介類を洗浄加工する際には、殺菌海水、人工海水、または飲料水を用いる
このガイドラインが出される以前では、調査によると、 35%の市場で天然海水を使用して魚介類を洗浄、保管していた。また約2/3が殺菌処理などをしないまま使用していた。
沿岸海水では腸炎ビブリオの汚染率が高い事がわかっており、漁師が魚介類を沿岸回数で洗うことによって、むしろ沖合で捕れた魚介類を腸炎ビブリオで汚染されてしまう危険があることがわかった。
したがって、魚介類を洗浄加工する際には殺菌海水、人工海水、または飲料水を用いなくてはならなくなった。
魚介類の流通保管時の温度を10°C以下に設定した。
当初の案では最も安全な4℃での保管を設定していたが、水産業界からの申し入れによって、実際の流通で実現可能な、設定温度10℃にする事となった。10°Cでは腸炎ビブリオは緩やかに増殖するものの、 生鮮魚介類が。48時間以内に消費されることを前提とすると、10°Cでは魚介類の保管に適切な温度と推定されたためである。なお、ガイドラインでは可能ならば、4℃保管が望ましいとされている。
魚介類の腸炎ビブリオ菌数を衛生指標として成分規格として設定した。
生食用鮮魚介類で腸炎ビブリオ菌数が100MPN/g以下とする定量的な成分規格が設定された。この数字については、これまでの生鮮魚介類の腸炎ビブリオの汚染状況などのデータを総合して設定された。
なお、ここで注意すべきは、この成分規格での腸炎ビブリオとは病原遺伝子TDH陽性の腸炎ビブリオではない。あくまでも指標細菌として腸炎ビブリオの菌数(MPN法)を見るということである。
なぜ病原性遺伝子を持った腸炎ビブリオではなく腸炎ビブリオ菌全体を指標議員としてモニタリングするのか?
その理由として腸炎ビブリオ菌の病原性菌株の分布の特殊性があげられる。
腸炎ビブリオ食中毒で患者から分離される菌株のほとんどが耐熱性溶血毒(TDH)という毒素を持っていることが分かっている。この毒素には腸管毒性や溶血活性細胞致死活性などが報告されており、これらが腸炎ビブリオ食中毒のメカニズムに関与していると考えられている。
しかし一方で、これまで日本で研究されてきた魚介類からの腸炎ビブリオの分布の調査では、このような溶血毒活性を持った腸炎ビブリオはほとんど検出されない。環境中での病原菌株の割合は全体の腸炎ビブリオの1%程度と考えられている。
このような腸炎ビブリオ全体における病原性菌株が極めて少ないという理由から、日常的な腸炎ビブリオの管理モニタリングには非病原性の腸炎ビブリオ全体を指標として、定量的なモニタリングで判断するということになる。