先週、茨城県の果樹園で紙コップに入った試食のりんごを食べた後、12人が食中毒の症状を訴えた事件がニュース報道されました。6歳男児と70歳代女性が集中治療室(ICU)で治療を受けているようです。りんごでなぜ大腸菌O157食中毒が起きるのか?食品微生物学のリスク管理の視点から、この記事ではりんごの安全性と大腸菌O157との関係について、これまでの海外の事例解説を含めて解説します。りんごの表面や内部、そして食中毒を引き起こす微生物の増殖について、専門的な視点で分析します。
りんごジュースでの大腸菌O157食中毒
りんごジュースによる大腸菌O157食中毒に関して、1990年代の米国で発生した複数の事例が注目されています。特に有名なのは、1996年に起きた事故です。
Cody et al.
An Outbreak of Escherichia coli O157:H7 Infection from Unpasteurized Commercial Apple Juice.
Ann. Intern. Med., 130 (1999), pp. 202-209
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この事故ではワシントン州シアトルで大腸菌O157によるアウトブレイクが発生し、70人が食中毒を発症しました。このうち25人(36%)が入院し、14人(20%)が溶血性尿毒症症候群を発症し、1人(1%)が死亡しました。
調査の結果、りんごジュースを飲んだ患者に共通点が見られ、Aブランドの未殺菌りんごジュースが関与していることが判明しました。このジュースは、米国西部およびカナダのブリティッシュ・コロンビア州で広く流通していました。
FDAの検査官がジュース製造会社を調査したところ、工場は近代的で衛生状態に問題は見られませんでした。また、工場内からの汚染源は発見されなかったため、工場内での大腸菌O157の汚染の可能性は否定されました。
その後、原料であるりんごに焦点を当てた調査が行われました。1990年代初頭の事例を踏まえ、工場では原料りんごの品質チェックが行われていましたが、事故当時は検査官が不足しており、記録の文書化も不十分であることが判明しました。
さらに、りんご農場やパッケージング工場の調査で、鹿が頻繁に出入りしている果樹園があることが分かりました。
従業員からは、地面に落ちたりんごも出荷に含めていた証言が得られました。
これらの調査結果から、果樹園の汚染が問題とされました。ただし、鹿から分離された大腸菌O157:H7は、発生株とは一致しませんでした。それでも、鹿が複数の菌株を保有し、排泄する可能性があると考えられます。研究者は、工場に出荷された落ちたりんごが牛または鹿の糞便によって汚染されていた可能性が高いと推察しています。
また、りんごジュースの酸性度が高いため、腸内病原菌の感染源になりにくいと考えられていましたが、未殺菌ジュースを製造する工場の標準手順は、大腸菌O157:H7の除去には不十分であることが判明しました。
工場では、果実の腐敗評価手順の適用に一貫性がなく、ワックスがかけられたりんごの洗浄前の処理が不適切で、酸洗浄の濃度が低すぎたことが問題とされました。
しかし、いずれにせよ、手摘みの果物のみを受け入れるという同社の方針は、現実的には実行不可能でした。なぜなら、果物が地面から収穫されたかどうかを、受け入れ側で判断することは不可能だからです。
最終的に、大腸菌O157:H7の耐酸性が問題となりました。ある研究(Miller et al.)では、pH 3.7~3.9の条件下で21日間保存されたサイダーにおいて、大腸菌の91%~98%が生存していることが報告されています。この事件は、りんごへの大腸菌の混入を防ぐための殺菌工程の重要性を浮き彫りにしました。
収穫前のりんごのリスクファクター
動物や鳥類による汚染
果物の汚染には多くの潜在的な大腸菌源が存在します。特に、多くの鳥が成熟した果実を食べるため、収穫期のりんごなどには鳥の糞が大量に付着する可能性が高いです。鳥はカンピロバクター、サルモネラ菌、リステリア種など、さまざまな食中毒菌の伝播にも関与しています。また、地面に落ちたりんごは、家畜や野生動物の糞便に晒されることもあります。
注)ただし、近隣に牛の放牧場などがあった場合は別として、一般の市中において鳥の糞から大腸菌O157が検出される頻度はそれほど高くありません。野鳥の糞と食中毒菌に関する詳しい解説ブログ記事は下記をご覧ください。
スズメなど野鳥が葉物野菜の腸管出血性大腸菌の汚染源になり得るか?
傷ついたりんご組織の危険性
上述したように、1996年のりんごジュースによる大腸菌O157の食中毒事件の主因は、果樹園でのリンゴの大腸菌O157による汚染でした。ここで、次の二つの疑問が生じます。
- 果樹園で汚染された大腸菌の濃度が、すでに人に食中毒を発症させるレベルだったのか
- 初期汚染はわずかな菌の汚染だったが、その後りんごの中で大腸菌O157が増殖したのか
これらの疑問を解決するため、米国農務省農業研究局果実研究所の研究グループが研究を行いました。その研究は、以下の論文で紹介されています。
Janisiewicz et al.
Fate of Escherichia coli O157:H7 on fresh-cut apple tissue and its potential for transmission by fruit flies.
Appl. Environ. Microbiol. 65, 1–5(1999).
この論文は、りんごと大腸菌O157に関する注目論文で、出版以来167回引用されています。研究者たちは、りんごがpHが低いため大腸菌O157の増殖がしにくい環境であるにもかかわらず、どのような条件で大腸菌が増殖するのかを解明しようとしました。
傷口では増殖しやすくなる
研究者たちは、りんごの傷口に注目しました。果物や野菜は、食品媒介病原体の急速な増殖に必要な栄養素を含んでいますが、通常は皮や果皮などの外的バリアが微生物の侵入や増殖を防いでいます。しかし、傷ついた果実やカットされた果実では、この外部バリアが破られ、細菌が定着したり増殖する機会が生じます。
研究者たちは、りんごにわずかな傷をつけた場合、大腸菌O157がどれほど増殖するかを調べました。最初はpHが低いため増殖が難しいと考えられていましたが、実験の結果、大腸菌O157は急速に増殖しました。そして、接種量に関わらず、大腸菌は接種部から果肉部に最大増殖量約(106~107 CFU/傷口)に達することがわかりました。
これは、切断部でのシュードモナスやカビ、その他の微生物の増殖により、微細環境のpHやその他の条件が変化し、大腸菌O157にとって有利な環境が形成されたためと考えられています。
研究者らは、りんご傷口では組織上で指数関数的に増殖するO157の能力は重要であり、りんご加工業界は危害分析重要管理点システムにおいて考慮すべきであると結論しました。また、作業員による果実の不衛生な取り扱いは、汚染と大腸菌の急激な個体数増加をもたらす可能性があるとしています。
ショウジョウバエが傷口間でO157を伝播する
次に研究グループはショウジョウバエに注目しました。りんご畑では、ショウジョウバエが特に収穫時期に頻繁に飛んでいます。ショウジョウバエが大腸菌O157に汚染された傷口から別の傷口へ移動することにより、広範囲のりんごに大腸菌が伝播する可能性があります。
研究者らは、人工的に傷のあるりんごとショウジョウバエを使用した移行実験を行いました。傷口に大腸菌が汚染されたりんごにショウジョウバエを入れると、ショウジョウバエが傷口を舐め、新鮮な汚染のないりんごの傷口を舐めることによって大腸菌が移行することが明らかになりました。
研究者らは、大腸菌O157:H7に汚染された傷ついたりんごは、その後ショウジョウバエによって、自然亀裂、鳥、昆虫、ひょう、またはその他の手段によって引き起こされた傷のある他の果実に広がる可能性があると結論しています。
市販りんごのリスクはどれくらい?
読者の皆様がここまでの記事をお読みになって、りんごに含まれる大腸菌O157のリスクを過大評価するかもしれませんが、実際には市販のリンゴを食べて大腸菌O157に感染する可能性は非常に低いと言えます。
この記事を執筆していた時に、オーストラリアの研究者たちが市販のりんごにおける大腸菌O157のリスク分析に関する論文を発表しました。過去20年間で初めてのこの種の分析を行ったこの論文は、正確なリスク評価を提供しています。
Frankish et al.
Farm to fork quantitative risk assessment of Escherichia coli O157:H7 illness from the consumption of fresh Australian apples
Food ControlVolume 155, January 2024, 110080
この研究では、オーストラリア、マードック大学のフランキッシュ博士らが、りんごのサプライチェーン全体にわたるオーストラリア産リンゴによる病気のリスクを推定する定量的リスク評価モデルを開発しました。このモデルは、果樹園の状態、損傷したりんごの割合、サプライチェーン全体での病原体の生存に対する保管時間と温度の影響、果樹園とパックハウスの活動が組み込まれています。
解析方法の詳細は割愛しますが、結論としては、オーストラリア産の新鮮なりんごを摂取した後の大腸菌O157:H7による病気の平均リスクは、1食分あたり1.43×10-10(最小0、最大1.21×10-6)であり、消費されたりんご100億個あたり約1件の病気が発生すると推定されています。
最悪のシナリオ(注)でも、オーストラリアの生のりんごが原因で大腸菌O157:H7による食中毒が起こる可能性は5年に1件と予測されています。この予測は、特定のデータギャップを埋めるための最悪のシナリオを採用しているにもかかわらずなされたもので、その結果、研究者たちは、オーストラリアの市販りんごが消費者に食中毒を引き起こす可能性は極めて低いと予測しています。
(注)傷んだりんご、灌漑水や野生生物による汚染などを含むシナリオ。
果樹園で発生する最悪のシナリオの場合でも、パックハウスでの洗浄と保管の過程を経ることで、消費者に届くまでに大腸菌O157:H7の数が3.77 Log CFU減少することが算出されました。
上図は本記事で引用している論文の公開方針(Creative Commons CC-BY-NC-ND)に準拠し、論文の図をそのまま掲載(ただし、和訳)
このリスク減少は、サプライチェーンの中で特にパックハウスの段階が重要であることを示しています。ここでは、卸売保管期間(1~7日)や温度(5℃未満)が病原体の負荷に直接的な影響を与えるわけではなく、むしろ初期のパックハウス管理が重要な役割を果たしています。
パックハウスから出るりんごの汚染を最小限に抑えるためには、いくつかの重要な管理策があります。これには、洗浄水での塩素消毒剤の使用、損傷したりんごの除去、そして洗浄と消毒を通じた設備の清掃が含まれます。これらの措置は、りんごのサプライチェーンにおいて大腸菌O157:H7のリスクを効果的に管理し、減少させるのに不可欠であるとされています。
パックハウスでの管理(りんごの洗浄と設備の洗浄)に次ぐ重要な要素は、卸売での保管時間と温度、および食品取扱業者による相互汚染です。
研究によると、家庭においては、りんごを食べる前に洗うことで、0.023から0.133 Log CFUの削減が可能であることがモデルで示されています。これは、卸売や小売の段階での環境汚染や他の商品からの相互汚染の可能性を考慮すると、最終的なりんごの安全性を維持するためには、家庭での洗浄も重要であることを示しています。
まとめ
この記事では、りんごによる大腸菌O157に関連した食中毒のリスクについて、果樹園から市販されるりんごまでの流通過程を海外の事例や研究を基に検証しました。特に、日本の果樹園で発生した、試食用りんごを使用した大腸菌O157の事件は、りんごの生産から消費に至る過程で最もリスクが高いとされる場所で起きました。この記事で指摘されたように、りんごをカットする行為は大腸菌の汚染および増殖リスクを高め、結果として食中毒を引き起こしました。従って、リスクが高い場所でのリスクの高い行為(例えば、果樹園でのりんごのカットと試食)を行う際には、りんごの選別や洗浄を徹底すること、カットする環境や使用するまな板、包丁の衛生管理を厳密に行い、さらにカット後の試食までの時間管理にも細心の注意を払う必要があります。
※本記事内で使用されているイメージ写真やイラストは、事例の概要を読者の理解を助けるために使用されており、実際の出来事や関係者とは関係ありません。