遺伝子検査による食品微生物の検出・同定に関する手法は多岐にわたる。本シリーズでは網羅的になることを避け、そもそも食品微生物検査における遺伝子検査とは何か、代表的な技術(PCR法、リアルタイムPCR法、lamp法、パルスフィールド電気泳動、MLST法、MLVA法、次世代シークエンサー等)の概略、 遺伝子検査 によってわかること、そのメリット、実施するにあたっての技術特性の理解や留意事項を中心に順次シリーズで解説する。なお、本シリーズは実験マニュアルを提供するものではない。初心者に各技術の特性をわかりやすく説明することを目的としている。
迅速性
培養法は家の建設、遺伝子検査法はコピー機複写
遺伝子検査法が培養法より優れている点は迅速性にある。培養法は細胞の分裂を前提としている。一方、遺伝子検査は遺伝子の増幅のみを前提としている。例えで言うと、培養法における細胞分裂は一軒の家を建設するようなものである。一方、遺伝子検査法における遺伝子増幅はコピー機でコピーを複製するようなものと言える。
家を建設する際、土台を作って基礎工事を行って、骨組みを作って、最終的に一軒の家が完成するまでに3か月くらいかかる。これを細胞分裂による微生物の1分裂にかかる時間に例えることが出来る。一方 、DNA 手法は DNA の部分だけをコピーするだけである。つまり、コピー機に例えることができる。コピー機ではコピーを数秒の単位で何枚もコピーできる。家の建設の場合は一軒の家が出来上がるまでに3ヶ月ぐらいかかるが、 コピー機でコピーを作るのは数秒と言う単位で何枚も作ることができる。
このように培養法と DNA の方法の違いは、家を建設する事とコピー機と違いに例えることができる。
食品工場での汚染源調査で分かりやすく説明
遺伝子による検査法 の迅速性について、食品工場の例でわかりやすく説明してみる。例えば今ある会社で製品チーズ製品でリステリア菌が出てきてしまったと想定しよう。社長の鈴木さんはショックを受ける。
そこで、鈴木社長は工場の微生物管理者の山田さんにこの問題を解決するように指示する。
工場のどの部分でリステリアが混入した場所がわからないので、山田さんはまず工場のラインを全部分解する。そして一個一個のパーツを洗おうとする。この作業には一週間ぐらいかかる。社長の鈴木さんは怒る。7日間も工場を止めていることなんかできない。お前は何を考えてんだ、馬鹿者と、いうことになる。
そこで山田さんは一生懸命拭き取りテストを行って汚染箇所がどこかについて明らかにしようとします。
しかし、ふき取りサンプル液を培養法で検査する。
培養法でリステリアを検査すると、検査結果が出るまで7日間ぐらいかかる。再び山田社長さんが怒る。数時間以内に汚染箇所の結果を出せと言います。
そこで登場するのが遺伝子による検査法(PCR法)である。 PCR法では、ふき取りサンプルを一斉に分析が短時間で可能である。そしてどの箇所が危険な箇所であるかの判定を行うことが出来る。
危ない箇所を掃除してしまえば一応の問題は解決する。これが 遺伝子による検査法(PCR法)の優れた利点である。
正確性、データの互換性
DNAの配列は異なる場所で、異なる条件で分析しても同一
さらに、遺伝子検査法による微生物同定法が培養法より優れている点は、結果の正確性、安定性である
ここでもこのことについてたとえ話で説明する。あなたの会社の同僚のボブはあなたの会社の社長の山田氏の性格をとてもおだやかだと考えいる。でもあなたは山田社長はとてもイライラした性格だと感じている。ボブからの評価とあなたからの評価とでは、山田社長の人物像が全く違うようだ。
なぜこのような違いが出てくるのだろうか。実はボブは山田社長の部屋に行く時にはいつもアイスクリームを持って行く。山田社長はアイスクリームが大好物だ。従って山田社長はボブと話す時はとてもにこやかな優しい性格になる。ところがあなたは山田社長の部屋に行く時にはアイスクリームを持っていかない。山田社長はアイスクリームがないのでとてもイライラする。そしてあなたにとって山田社長はとてもイライラした人物に思える。
この例え話で伝えたいことは、ヒトは与えられた環境によって異なる性格を表に示すことだ。これを微生物に例えると、微生物も培地や環境条件によって違った性質を示す可能性があるということである。
以前私の研究室は別の研究室と共同研究を行ったことがある。私たちは同じ細菌の菌株をお互いに用いることにした。ところが私たちの研究室で同定をした結果と別の研究室のそれで異なる細菌の種になってしまった。その原因を調べた結果、2つの研究室では微生物の同定に用いた培地の種類や条件がわずかに違っていたことが明らかとなった。
このように、非常にわずかな方法の違いであっても場合によっては微生物の同定結果が異なることになってしまうリスクがある。また、実験をする人の技術レベルの違いなどによっても違った結果が出てきてしまう可能性がある。一方、DNA の配列によって同定する場合はこのようなばらつきは起きない。
世界や過去データと互換性がある
遺伝子検査による微生物の同定は正確であるということと同時に、 データの互換性という点でも大きな力を発揮する。 DNAのデータの配列は四つの塩基の連続暗号に過ぎないので、世界中のどこの誰が分析しても相互の配列は変わらない。したがってデータの互換性という点において優れている。
また、同じ研究室内で10年前の研究院たちが一つの細菌を分離していたとしよう。その研究院たちはすでに退職していなくなってしまった。10年後に若手の新入社員が、またその工場から細菌を分離した。遺伝子の配列を決定し、社内のパソコンに保存してあったデータベースと照合すると、10年前に同じ工場で 分離されていた微生物と全く同じ DNA 配列だった。
このように、 DNA 配列というのは時空間をこえてコミュニケーションを取ることができる利点がある。
遺伝子検査法の弱点ーコロニー純粋分離しなくてはわからないこともある
もちろん食品の微生物検査の大前提はコロニーを分離することにある。コロニーを分離しなくては菌の性状は不明のままであり、不十分である。
上述したように、食品微生物検査における遺伝子検査法は迅速性という点で大きな力を発揮する。ただし、ここで注意しておかなくてはならないことは、微生物学においては微生物を分離培養して培養株を得ないと十分な情報を得ることができないということもあるということだ。 PCR 法などの遺伝子による検査法は、食品工場のある箇所にそのバクテリアが存在しているかいないのかということをシグナルとして検出するにすぎない。それで実用的には十分な場合もある。詳しくそこに存在していたバクテリアの種類とか性質を知るためには、やはり培養が必要になる。遺伝子検査は便利ではあるが、この点は注意しておいた方が良い。
遺伝子検査は培養法の方位磁石として使う
しかしだからといって、どこに目的とする細菌がいるのかわからないのにもかかわらず全てを培養法で行うのは現実的ではない。遺伝子検査を行わずいきなり始めから培養法で工場や食品を検査しようとすると、大量な時間とエネルギーを浪費となる。上述した工場の例えで言うと、工場のすべての箇所のふき取り液をすべてを培養法ででやった場合には大変な労力と時間がかかって実用的ではない。
例えば、子供が山に昆虫採集に行くことを想像してみよう。下のイラストではと虫そのものを網で捕まえる行為が培養法である。しかしどこに虫がいるのかということを知らないままで虫取りに出かければ、一日が徒労に終わるだけだ。やはり あらかじめ虫がどの山にいるのかを知っておく必要がある。この情報を知らせてくれる方位磁石が必要になる。この方位磁石が遺伝子による検査法(PCR法)と理解すると良い。
遺伝子検査法における迅速性は、大量のサンプル中に目的とする細菌が存在するのかについての案内役として有効となる。上の例で示したように、まずは大量のサンプルを迅速に PCR 法などの遺伝子検査で判定を行い、陽性サンプルのみについて集中的に培養法での分類を試みるというのが現実的なやり方である
遺伝子検査を培養法のステップに組み込む
また培養法で分離する際に、ステップを省略するための補助手法としても、遺伝子検査法を位置づけることができる。例えば食中毒細菌などを増菌培養から選択増菌培養、鑑別培地、そして生化学性状などを行っていく際に、全ての工程を培養法によって行うのではなく、部分的に遺伝子検査法を利用することによって、分離や同定が速やかに行えるようになる。つまり、 昆虫採集 に例えるならば遺伝子による検査法は昆虫のいる場所を教えてくれる方向磁石としての役割のみならず、実際に木の上にいる昆虫を捕まえる際に補助的な手段として、子供を手助けしてくれる作用も持っている。
以上のように、遺伝子検査法と培養法は対立する手法ではなく、相互に補完し合う手法と整理した方が良いだろう。すなわち、遺伝子検査は培養法による菌の分離を手助けする方法と整理することができる。