本記事では、食品微生物学において細菌以外の重要な微生物である酵母とカビついて説明する。いずれも細菌のような原核生物よりは高等な生物であるが、どちらも進化の袋小路に入ってしまった。従属栄養にもかかわらず、植物のような細胞壁を形成してしまったために、動物のような発展を遂げることができなかった。また、本記事ではこれらの酵母、カビのの食品微生物学的な観点からの位置づけや意義についても述べる。

生物学的位置づけ

 酵母、真菌、およびキノコは、進化の観点から見ると、共通の祖先から分岐した生物群である。いずれも、細胞内に核を持つ真核生物として、原核生物の細菌よりも複雑な細胞構造を持つ。真核生物は細菌のような原核生物がモザイク状に組み合わさってできたと考えられているので、サイズ的にも原核生物よりは大きい。

 酵母は単細胞であり、進化の観点からは、真核生物が単細胞から多細胞生物に進化する過程で、単細胞の生活形態を維持した。一方、真菌は酵母が細胞化して進化した生物群と考えられる。また、キノコは、真菌の一部であり、多細胞性の進化の過程で、子実体と呼ばれる特有の構造を形成することが可能となった生物である。

 地球上に最初に誕生した生物は原核生物である。しばらく経ってから真核生物に発展した。真核生物のうち、細胞内に藍藻を共生したものは、植物プランクトンへと進化した。光合成機能を身につけた真核細胞は、様々なストレスから身を守るために細胞膜の外側に分厚い細胞壁を発達させた。これらの真核細胞が現在の高等植物へと進化した。

酵母とカビは進化の袋小路にはまった

 ここで、細胞壁をつくる場合と作らない場合の、メリットとデメリットについて考えてみる。細胞壁を持つことは、外からのストレスに対して強くなることを意味する。しかし同時に、細胞膜を反転させて細胞外の固形物を取り込むというような、ファゴサイトーシスは行うことができなくなる。つまり栄養摂取の観点からすると、それは積極性を失う。一方細胞が細胞壁をつくらない場合は、ファゴサイトーシスを行うことができるので、栄養摂取の観点からすれば積極的でダイナミックである。しかし、細胞壁がないので、外からのストレスに対して弱い。


 藍藻類を細胞内に共生することができなかった細胞は、太陽光からエネルギーを作ることができなかった。従って、これらの細胞にとっては他の細胞を捕食するしか道はなかった。従って、これらの細胞は細胞壁は作らなかった。ストレスに対しては弱いものの、栄養を取り込むという観点では積極的な仕組みを保ったわけでである。 このような生物が多細胞化したのが動物である。


 さてカビと酵母はどだろうか。カビや酵母の祖先の細胞は、藍藻類を細胞内に共生させることが出来なかった。この点についてはカビと酵母の祖先は動物の祖先と同じ状態であった。しかしその先の進化は異なる道筋をたどった。人間の祖先である原生動物は、光エネルギーを利用することが出来なかった。そこで、かれらは、従属栄養生物として、細胞の表層の流動性を保ちながら積極的に他者を食べるという選択の進化をした。しかしカビや酵母の祖先の細胞は、植物と同じように細胞壁を形成する道を選択した。従って酵母やカビは、動物のように飛躍的な進化をすることはできなかった。

 スーパーの野菜売り場に行くと、酵母やカビの進化形であるキノコが並んでいるが、栄養摂取という観点では人間もキノコも従属栄養生物である。動物は細胞壁を作らずに積極的に発展することを選んだのに対して、酵母、カビ、キノコたちは消極的な道を選んでしまった。

このようなグループを進化の袋小路と呼べるかもしれない。

なお、細菌も、やはり従属栄養生物であるにもかかわらず細胞壁を形成する道を選んだ。

食品微生物学の観点から見たカビと細菌の違い 

 カビの場合、基本的に毒素型食中毒や感染型食中毒を起こすものはない。カビは、見た目の悪さからくる商品の劣化という観点で食品微生物学としては重要になる。もちろんカビについても健康に危害を及ぼすものも一部存在する。しかしそれらは例外的な存在である。食品で有害なカビの代表的なものを3つあげておく。 まず第一に麹カビの一種であるアスペルギルス・フラバスの産生するアフラトキシンである。アフラトキシンは強力な発がん物質である。第2はデオキシニバレノールである。この毒素は、アカカビの1種であるフザリウムによって生産される。第3はパツリンである。この毒素は青カビの一つであるペニシリウム・エクパンサムによって生産される。これら3つについては毒素の成分規格がある。
 酵母の場合もまた、毒素型食中毒と感染型食中毒をおこす酵母は存在しない。さらに、カビと異なり、例外的に有害な酵母すら存在しない。したがって、食品の安全性や品質の管理から見た酵母は、食品の腐敗にのみ関わるものと考えてよい。

カビの増殖を食品中で防ぐ方法

カビの大きな特徴は、乾燥した食品中でも増殖できることである。パンのような乾燥した食品では、細菌はほとんど増殖できないが、カビは増殖できる。

また、カビの増殖を考える上でもう一つ重要な点は、ほとんどの場合、真空包装がほぼ完全にカビの増殖を抑制することができる点である。なぜならば、カビのほとんどすべては、好気性であるからである。

カビが(1)乾燥した食品中でも増殖できる点、及び、(2)酸素がない食品中では増殖ができない点は、カビが細菌と異なる重要な特徴である。

ではなぜカビはこれらの生理特性を持っているか?このようなカビの特徴はカビの生活様式に密接に関わっている。カビはたんぽぽのようにたくさんの胞子を空気中にこのように撒き散らす。これがカビが拡散していく生活様式である。カビは植物や土などの表面に生息しているので、カビの生息する環境は基本的には酸素が豊富に存在する。従ってほとんどのカビは好気性なのだと考えられる。また表面に生息しているので、常に乾燥しやすい。従ってカビは乾燥に強い。


 空気中に飛ばされたカビの胞子はどのような運命をたどるか?例えばカビの胞子が栄養の全く存在しない机の上のなどに落下した場合には、そのまま死滅していく運命にある。

胞子は落下した地点で、発芽して菌糸を伸長させる。カビは、近くに栄養があるかどうかをどのようにして知るうか?カビの菌糸は細胞外に大量の酵素を分泌する。これらの酵素は、タンパク質や炭水化物などを分解する酵素である。もし周りに何の栄養も存在していなければこれらの分泌された酵素は何の働きもせず、菌糸は死滅して行く道しか残されていない。しかし、近くに、例えば植物の破片や動物の死骸などが存在していれば、分泌された酵素は植物の死骸を分解する。その結果、分解された植物からは低分子のブドウ糖やアミノ酸が溶出する。これは濃度勾配によって菌糸へと拡散していく。菌糸はこのシグナルを探知する。これらの低分子の栄養物が拡散してきた方向へ向かって菌糸は自分の体を伸長させていく。これがカビの胞子が落下地点で生き延びる戦略である。

ところで、米から作るお酒などでは、まず最初に米にアスペルギルスの一つであるコウジカビを生やす。このコウジカビがデンプンを分解してブドウ糖に変換する。このブドウ糖を酵母が発酵して日本酒を作る。発酵微生物学の教科書などではこのことがよく記載されている。その理由は、上述したように、そもそも細胞外に高分子化合物を分解する酵素を分泌することこそがカビの菌糸が生存していくために不可欠な戦略であるからである。