2026年、EUがリステリア規制を大幅に厳格化します。これまでCodex基準に基づき、消費期限内でリステリア菌が100 CFU/gを超えないことを科学的に証明できる場合、第三基準として許容されていた運用。しかし、科学的証明が不十分な場合も多く、実質的には出荷時点での確認に留まっていました。今回の改正案では、この曖昧さが排除され、証明が困難な場合にはゼロトレランスが適用されることが明確化されています。この動きは、食品業界にとって科学的根拠の重要性を再認識させるものであり、日本食品業界にも影響を与える可能性があります。
Codex基準とEUのリステリア規制の背景
食品安全の国際的な基準として広く知られているCodex基準注)は、2007年に公式に採択されました。この基準は、リステリア・モノサイトゲネスのような食品由来の病原菌に対する管理基準を明確化し、世界中の食品安全規制に大きな影響を与えてきました。
注)リステリアに関するCodex基準、およびEU、米国、日本における規制基準についてのわかりやすい解説は、以下の記事をご覧ください。
Codex基準では、食品中のリステリア菌の管理について3つの基準が設定されています。その中でも、「消費期限内でリステリア菌が100 CFU/gを超えないことを科学的に証明できる場合に適用される第三基準」は、現実的なリスク管理手法として特に注目を集めました。
EUはこの第三基準を採用し、長年運用してきました。しかし、この基準は文書上では「消費期限全体でリステリア菌が100 CFU/gを超えないこと」を求めていますが、実際の運用では主に出荷時点での確認に留まり、科学的証明が十分に行われていないケースが指摘されていました。このため、基準が緩和されているにもかかわらず、一部ではリスク管理の曖昧さが課題となっていました。
このため、EUではリステリア規制を見直し、Codex基準に忠実な運用を目指して今回の改正案を打ち出しています。
2026年から施行:EUの新リステリア規制とは
規制強化の背景とこれまでの経緯
Codex基準はもともと「消費期限全体でリステリア菌が100 CFU/gを超えないことを科学的に証明できる場合」に、この基準を適用できると明記していました。しかし、EUではこれまで、この文言を厳密に運用することができず、実際には食品が工場を出荷する時点で基準値を満たしていればよいという解釈が広がっていました。その結果、一部の製品では、科学的な証明がないまま基準が適用されるケースが問題視されるようになりました。
この問題視の背景には、EUにおける人口高齢化が進む中で、リステリア症の発症件数が減少するどころか増加傾向にあるという現実があります。高齢者や免疫力の低下した人々が特にリステリア症に対して脆弱であり、この現状が食品安全規制の見直しを求める大きな要因となっています。こうした背景のもと、EUはCodex基準の第三基準の文言を厳格に遵守する方向へ舵を切りました。
規制改正までの流れ
新しい規制案は以下の流れで進められました。
2024年4月10日〜5月8日
EUは改正案の草案を公開し、パブリックコメントを募集しました。この期間中、多くの業界団体や消費者団体が意見を提出し、改正案の内容について議論が行われました。
2024年11月20日
パブリックコメントを踏まえた改正案がEU委員会で正式に採択されました。これにより、Codex基準を基にしたリステリア規制が厳密に適用されることが正式に決定されました。
2026年7月1日
新しい規制の施行日です。この日以降、食品事業者は科学的な証明をもって「消費期限内でリステリア菌が100 CFU/gを超えないこと」を示す必要があり、これが満たされない場合、ゼロトレランス基準が適用されることになります。
この改正の意味するもの
今回の改正により、リステリア規制は従来よりも厳格化され、食品事業者は「消費期限内にリステリア菌が100 CFU/gを超えない」ことを科学的根拠に基づいて証明することが求められるようになります。Codex基準では当初から消費期限全体での科学的証明を求めていましたが、実際の運用では工場出荷時点のデータのみで基準を満たしているとされるケースが多く見られました。
しかし、今回の改正では、消費者が実際に食品を摂取するまでの流通過程や保存条件、さらに最悪のシナリオ(ワーストケース)を考慮し、科学的に「消費期限内にリステリア菌が100 CFU/gを超えない」ことを証明することが必須となります。これにより、食品事業者は従来のように出荷時点のデータだけに頼ることはできなくなり、流通全体を見据えた厳密なリスク評価と検証が求められます。
事実上、この改正により、Codexの第一基準(ゼロトレランス)と第二基準(リステリアが増殖しない場合の100 CFU/g基準)は引き続き適用可能ですが、第三基準(消費期限内でリステリア菌が100 CFU/gを超えないことを科学的に証明する基準)は実質的に淘汰されることになります。言い換えれば、Codex基準のうち最も柔軟とされていた第三基準が厳格化の波に飲み込まれ、結果として第一基準のゼロトレランスに近い対応を求められることを意味します。
業界の反応:新基準に対する懸念と提案
今回のCodex基準に基づくEUのリステリア規制の厳格化は、食品業界にとって大きな挑戦となっています。以下では、食品業界から寄せられた具体的な懸念や提案について解説します。
主な懸念事項
食品業界からは、以下のような懸念が多く寄せられています:
運用の現実性の欠如
科学的に「消費期限全体でリステリア菌が100 CFU/gを超えない」ことを証明するプロセスは、特に中小企業にとって現実的に困難です。科学的証明には、保存条件や温度変化を含めた詳細なシナリオ分析が求められますが、これに必要な設備やリソースは限られています。
コスト負担の増大
科学的検証のための試験やデータ収集には多額の費用が発生します。特に中小企業では、これらの負担が経営を圧迫する可能性があります。
ゼロトレランスの実質的導入
実質的にゼロトレランス基準に移行することで、従来の柔軟なリスク管理が難しくなり、一部の製品が市場から撤退するリスクがあります。
パブリックコメントからの意見
EUの公表した改正案には、多くの業界団体がパブリックコメントを通じて意見を寄せました。特に以下の団体の意見が注目されています:
Chilled Food Association(CFA)
CFAは、「科学的証拠の必要性は理解するが、現行のCodex基準で対応している業界実績を評価するべき」と述べています。また、厳格な基準の運用が柔軟性を欠き、逆に食品安全性を損なう可能性について懸念を表明しました。
EuroCommerce
ベルギーの業界団体EuroCommerceは、『改正案が食品業界にとって実現可能なリスク管理手法と矛盾し、特に中小規模事業者に大きな負担を強いる可能性がある』との懸念を示しました。また、食品のリコールや廃棄物の増加につながるリスクがあること、さらに検査要件の明確化や適応支援が必要であることを指摘しています。
今後の課題
2024年11月20日にEUによって正式に採択されたこの新しいリステリア規制は、EUの食品業界にとって大きな転換点となります。これにより、食品安全のさらなる向上が期待される一方で、業界、とりわけ中小企業にとっては大きな負担となる可能性も否定できません。
これらの課題に対するEUの対応がどのように進むのか、そして日本を含む世界の食品業界がこれにどう適応するのか、今後も注目していく必要があります。
ブログ筆者の視点と日本食品業界への提言
今回のEUにおける規則変更が示す「科学的根拠に基づく食品安全基準」の厳格化は、グローバルな食品安全のトレンドにおいても重要な指標となるでしょう。
日本では、生ハムや生チーズを除き、多くのready-to-eat食品についてはリステリア・モノサイトゲネスに関する規格基準が制定されておらず、検査もほとんど行われていないのが現状です。しかし、このブログでもこれまで取り上げてきたように、リステリア・モノサイトゲネスはready-to-eat食品全般においてリスクとなり得ます。実際、日本国内でも病院や医療施設でリステリア症の発生が報告注)がされており、特に免疫力が低下した高齢者や妊婦の方々にとっては命に関わる問題です。
注)日本国内の病院で報告されているリステリア症の発生状況については、下記の記事をご覧ください。
仙台市のリステリア症18例解析: 世界的なデータベースとの比較
こうした状況を踏まえると、食品業界だけでなく、規格基準の策定を担う関係機関も含めて、日本全体でリステリア・モノサイトゲネスに対する科学的かつ包括的な対応が求められると言えるでしょう。科学的根拠に基づいたリスク評価や規格基準の再整備といったEUのアプローチは、日本の食品業界と行政にとっても多くの示唆を与えるものと感じています。
業界全体でリステリア・モノサイトゲネスに対する意識を高めるとともに、食品安全に関する規格基準の充実が、今後の課題となることは間違いありません。
本記事の背景として、高齢化に伴いEU諸国でリステリア症の患者数が増加している現状に関する関連記事は、以下をご参照ください。