微生物学を学んだ人は、抗生物質は細菌の細胞壁やタンパク質合成などを阻害する仕組みの薬剤なので、ウィルスには効かないことを知っています。ノロウィルス感染の治療の薬として抗生物質を使うということは考えられません。ところがこのような常識を覆すような論文が発表されました。ワシントン大学医学部のバルドリッジ博士たちの仕事です。
※ノロウィルスの基礎事項を確認したい方は、下記記事をご覧ください。
食中毒菌10種類の覚え方 ⑩ノロウィルス
私は風邪で医者に抗生物質を処方された時、「ウィルスに対しては抗生物質は効かないのになぜ抗生物質を処方するのですか?」というような質問をしたことがあります。医者の回答は、確かにウイルスそのものには抗生物質は効かない。しかし、ウイルス感染によって起きる喉の炎症での細菌による創傷感染を防ぐのだという回答でした。このように、ウィルス感染であっても、複合的な細菌感染防除のために抗生物質を投与することはあります。しかし、あくまでも、副次的な処方であり、ウィルス感染そのものを治療するものではありません。ところが、博士らの研究は、ウィルス感染そのものが抗生物質投与により治癒効果があることを示したものとして注目されます。
博士らは、ノロウィルスが持続的に感染するマウスを調べ、ノロウィルスが長期間にわたって腸の中で滞在するためには、腸内細菌の存在が一役買っていることを発見したのです。
具体的には、博士らは、まず、ウイルスであるはずのノロウィルスの腸内における滞在時間が、抗生物質投与によって短くなる事を実験的に示しました。ノロウィルスはウイルスなのになぜ抗生物質が関係するのだろうか?このような疑問を解決するために博士らは次の実験を行いました。
マウスの腸内から腸内細菌を完全に除去しました。これらのマウスに、ネズミノロウィルスを感染させました。するとネズミノロウイルスはマウスの腸内では増殖できず継続的な感染を起こすことができませんでした。
そこで次に、普通のマウスにネズミノロウィルスを感染させ、 そのマウスが排出した糞便を、上に述べた無菌マウスに与えてみました。するとこのマウスの腸内でネズミノロウイルスが増殖しまた継続的な感染が起きていました。
つまりこれらの実験からわかることは、ネズミノロウィルスがマウスの腸内で増殖し長期間滞在するためには腸内細菌が不可欠であるということです。博士らはこのメカニズムに関してさらに詳細な実験を行っています。詳細は省きますが、腸内細菌が抗ウイルス性タンパク質インターフェロンλ(IFN-λ)の作用をを弱めることによって、ノロウィルスの腸内への定着しやすくさせている可能性が示唆されています。
博士たちの研究はノロウイルスに感染した場合でも抗生物質の投与が効果があるということを示し、ノロウィルスの治療に関しての大きな知見を提供しました。
しかしもっと大きなインパクトがこの研究にはあると私は思います。私たち微生物の研究者は、これまでほとんどの場合微生物を単独のプレイヤーとして扱ってきました。しかし、博士らの仕事はウィルスと細菌という階層の異なる生物群が人への感染において複合的な共同作業を行っているということを示しています。今後の微生物学は、このような微生物の複合作用というものがを捉えていかないと本当の意味での生命現象は分からないということかもしれません。
論文→Commensal microbes and interferon-λ determine persistence of enteric murine norovirus infection
Science. 347(6219): 266–269(2015)
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※この記事は公益社団法人日本食品衛生学会の会員限定メールマガジンで私が執筆した記事を、学会の許可を得て、メルマガ発行以後1年以上経ったものについて公開しています。ただし、最新状況を反映して、随時、加筆・修正しています。