新型コロナウイルス感染症の後遺症が心配されています。食中毒細菌感染の場合はどうでしょう?食中毒感染の場合には感染しても、治癒後は後遺症は残らないと考えている人も多いのではないでしょうか?しかし、そうでもないことを示す論文をこの記事では紹介します。腸管出血性による胃腸炎後の後遺症(高血圧、心疾患、腎臓病)に関する論文です。
腸管出血性大腸菌のベロ毒素の受容体は腎臓に存在し、感染部位の腸管上皮細胞から血管を通じてベロ毒素が腎臓に到達すると腎臓と血管の両方に損傷を与えます。溶血性尿毒症症候群だけでなく、一部のネフロン損失と全身内皮機能障害、心疾患の発症を引き起こす可能性があります。溶血性尿毒症症候群になった小児における腸管出血性感染の長期的な健康危害(生涯にわたる腎臓透析など)はよく知られています。
※腸管出血性大腸菌の尿毒症のメカニズムについては、下記の記事をご覧ください。
腸管出血性大腸菌の感染メカニズム
またカンピロバクター感染の場合、後遺症としてギランバレー症候群が知られています。ギランバレー症候群については、下記の記事をご覧ください。
カンピロバクター胃腸炎の症状は軽い が、予後、ギランバレー症候群のリスクあり
しかし、成人における、軽度な感染(下痢腹痛等)の長期的な後遺症は、調査することが困難なため、これまで、ほとんどわかっていませんでした。そこで、カナダ、オンタリオ州のロンドン健康科学センター医学部腎臓内科のクラーク博士は、この問題に関する調査結果の論文を出版しました。
Long term risk for hypertension, renal impairment, and cardiovascular disease after gastroenteritis from drinking water contaminated with Escherichia coli O157:H7: a prospective cohort study
BMJ,17;341:c6020 (2010)
この論文はPubMed Central(PMC)で無料公開されています。
飲料水を感染経路としておきたカナダの腸管出血性大腸菌食中毒
2000年5月、オンタリオ州ウォーカートン(カナダ)の水道が大腸菌 O157:H7 とカンピロバクター属菌に汚染されました。この発生時、大雨により家畜の糞便が、浅い井戸から供給される塩素処理が不十分な飲料水に流れ込みました。
その結果、2300人を超える消化器疾患の患者、750人以上の救急外来患者、65人の入院患者、27人の溶血性尿毒症症候群の認定患者、そして7人の死亡者が発生しました。
感染後遺症の調査
水質汚染に起因する長期的な健康影響を調査するため、2002年に健康調査(2002年-2008年)が開始されました。この調査により、胃腸炎後の高血圧と腎障害の長期的リスク分析が行われました。なお、流行期間中、検査を受けていない不顕性感染者(感染しても特段の症状を起こさない人々)についても調査対象としました。
【調査対象者】
2000年5月に市営水道が汚染され胃腸炎が発生した後、2002年から2005年にかけて実施されたアンケート調査の成人参加者1977人。このうち、アウトブレイク発生時に胃腸炎にかからなかった人、または軽度の胃腸炎にしかかからなかった人を対照グループとしました。なお、感染前に高血圧、腎障害、心血管疾患(心筋梗塞、脳卒中、うっ血性心不全)の疾患の証拠があった参加者は除外されました。
【調査方法】
訓練された研究担当者が、毎年の訪問時に標準化されたプロトコルを用いて各参加者の身長、体重、血圧を測定しました。血清クレアチニン濃度は毎年測定し、アルブミン:クレアチニン比のランダム(スポット)尿分析も行いました。
【主要調査項目】
急性胃腸炎(3日以上続く下痢性疾患、血性下痢、または3回以上の緩便/日)、高血圧(血圧140/90mmHg以上)、腎障害(微量アルブミン尿または推定糸球体ろ過量60ml/min/1.73m2未満)。心血管系疾患(心筋梗塞,脳卒中,うっ血性心不全)自己報告による心血管系疾患は、副次的なアウトカムとして評価されました。
【結果】
- 1977人の成人参加者のうち、1957人(99%)が汚染された市水を飲んだと報告しました。このうち、1067人(54%)が急性胃腸炎になっていました。残りの910人(46%)は胃腸炎を全く起こさなかったか、あるいは軽症でした。
- 急性胃腸炎になった人の38%、ならなかった人の32%で高血圧が認められました。
上の図は、本記事で紹介している論文に掲載されているグラフを、この論文のライセンス条件(クリエイティブ・コモンズ・ライセンス - 表示 - 非商用 - CC BY-NC)にしたがってそのまま掲載しています(ただし日本語訳)。
- 急性胃腸炎後の高血圧と心血管疾患の調整ハザード比はそれぞれ1.33および2.13でした。
- 腎機能障害:572人(29%)が少なくとも1つの腎機能障害を有していました(急性胃腸炎になった人306人、ならなかった人266人)。両方の腎機能障害を有していたのは30人(1.5%)でした(急性胃腸炎になった人22人、ならなかった人8人)。腎障害の指標のどちらかがある場合の調整済みハザード比は1.15、両方がある場合は3.41でした。
今回の調査対象となったアウトブレイクでは、カンピロバクターも腸管出血性大腸菌と共に水質汚染していました。従って、今回報告された後、遺症が腸管出血性大腸菌とカンピロバクターのどちらによるものかについては正確には分かりません。しかし、以下の2つの理由により、今回の後遺症の主な原因は、腸管出血性大腸菌による感染が原因と博士らは考えています。
- 腸管出血性大腸菌の感染量は カンピロバクターよりはるかに低く、感染を引き起こすのに必要な菌数は カンピロバクターの 400-500 個に対して 10 個であること。 したがって、急性胃腸炎にかかった参加者が カンピロバクターだけに感染していて、腸管出血性大腸菌に感染していない可能性は低いこと。
- これまでの研究では、腸管出血性大腸菌感染では溶血性尿毒症症候群とともに、後遺症としても腎機能障害や心疾患の発症を引き起こす可能性が報告されていること。一方、カンピロバクターについては、腎機能障害との関連性を示唆するようなデータはこれまでに報告されていないこと。
結論:腸管出血性大腸炎の胃腸炎後に後遺症が起きる場合がある
博士らの研究は、腸管出血性大腸菌およびカンピロバクター胃腸炎後の長期健康影響を評価した最初の報告です。
腸管出血性大腸菌およびカンピロバクターに汚染された飲料水による胃腸炎は、高血圧、腎障害、および自己報告による心血管疾患のリスク上昇と関連していました。特に、腸管出血性大腸菌による胃腸炎を経験した人には、年 1 回の血圧のモニタリングと定期的な腎機能のモニタリングが必要であると結論しています。
この論文では改めて腸管出血性大腸菌感染の怖さが示されています。これは全ての感染症に共通して言えることだと思いますが、感染をしても重篤な症状を起こさない場合はともかく、重症感染をしてしまった場合には、後遺症が残る可能性がより高くなると考えてもよさそうです。
食品製造業者は、単に食中毒は一過性の事象ではなく、感染した人の生涯の健康状態にも悪影響を及ぼす可能性がある事を念頭に入れ、くれぐれも細菌性食中毒を起こさないように万全を期す必要があります。
また消費者も自らの注意が必要です。微生物に感染しても症状が軽い人と重くなる人のメカニズムがよく分かっていません。しかし、その人の元々の免疫力の強さや(小児、妊婦、シニアなどの免疫弱者は気をつけなくてはならない)、またその人の免疫の強さの時々の状態(過度のストレスや疲労)にも関係してくるでしょう。健康な人は、日常的に体のコンディションに気をつけること、また免疫が弱いと感じている人については、生ものなどの感染リスクのある者はできるだけ避けるなどの対策が必要になると思います。食中毒感染しても回復すれば元に戻ると考えることはあなた、危険な考え方だということを認識する必要がありそうです。
また、これは、このブログ運営者の私見ですが、寝不足や疲労蓄積など、体調の悪い時には、食中毒感染しやすく、重症化すると、ひいては後遺症のリスクも高くなるのではないかと考えています。
この論文は2010年に出版され、これまでに47回引用されています(2022年6月スコーパス調べ)。
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