この記事では、サルモネラ菌や大腸菌O157はトイレでうつらないの?食卓での会話中にうつらないの?なぜ食中毒菌は食べ物を食べることにより、感染するの?食中毒菌の感染には食べ物の成分が必要なの?などなどの疑問について説明する。また、そもそも食品微生物学の定義に係る問題についてあらためて整理したい。
サルモネラ菌や大腸菌O157はトイレでうつらないのか?
ノロウイルスの場合には、食品だけからではなく、トイレに置いてあったタオルなどからも感染が広がる場合がある。つまりノロウイルスの場合にはトイレでもうつるということになる。それではサルモネラ菌や大腸菌O157はトイレでうつるのだろうか?
同じく、例えば今、食卓で会話をしている友人が、昨日まで大腸菌O157で寝込んでいたとしよう。この友人と食卓で食事を共にした場合に、この友人から大腸菌O157はうつらのだろうか?
その答えは次のとおりである。
サルモネラ菌や大腸菌O157に限らず、一般的に食中毒菌と呼ばれているものは、トイレや会話中に人から人へ移ることはない注)。あくまでも食品とともにこれらの細菌を体の中に入れた場合に発症するだけである。
注)例外については後述する。
なぜだろうか?
食中毒菌の感染には食品が必要なのか
食中毒菌の感染にはなぜ食品が必要なのか?
その答えは食中毒細菌の感染力に関係している。すなわち、どれぐらいの数の食中毒菌が私たちの体内に侵入した場合に感染を起こすかということだ。食中毒菌の感染力には、胃酸に対する抵抗性、小腸で分泌される胆汁酸への耐性、腸内細菌との競合能力、腸管上皮細胞に侵入した場合の免疫への対抗などが総合的に関係している。
中でも最も重要な影響を及ぼすと考えられているのがが胃酸に対する抵抗性だ。食品と共に私たちの体内に入ってきた細菌は、まず胃において殺菌される。胃酸が分泌されており、通常pHは1~2である。これは微生物が速やかに死滅してしまうほど強い酸性環境である。このpHではタンパク質の立体構造を保持している水素結合が外れてしまって立体構造が壊れてしまう。微生物の細胞もタンパク質で出来ているので、到底このpHでは生存できない。
直前に加熱調理していない食品中にはいろいろな微生物が付着している。それらの雑多な微生物が腸の中に簡単に侵入することができるならば、次のことが起きる。
- 腸内細菌叢が私たちが食品を食べる毎に、大きく変化してしまう。
- 食品中に病原菌がいれば、食品を食べる毎に食中毒感染を起こしてしまう。
そこで食品中から付着していた微生物は先ず私たちの胃という殺菌装置において殺菌される必要がある。これが胃の役割である。
消化器官としての立場としては、タンパク質を分解するペプシンが分泌されるので、胃はタンパクの初期段階での消化装置と理解できる。しかし、消化装置という点では、小腸でもタンパクの分解酵素は分泌される。つまり、消化という観点では、胃の役割が絶対不可欠なわけではない。
一方、微生物学的な立場では、胃がないと、胃酸による外来細菌の殺菌装置という不可欠な役割がなくなる。胃がんなどで、胃を全摘出した人でも消化は行えるが、外来微生物が直接口に入る食品については極めて感染が起こしやすい状態になっていると言える。
上に説明したように、食中毒菌は基本的に胃の中で殺菌される。しかし、食品中に含まれている食中毒菌の数が多い場合には、わずかな細菌が生き残る。このように胃の中を無事生き残って通過できた僅かな細胞が小腸に到達することによって、食中毒感染を起こすわけである。
空気中の埃に細菌はどれだけ飛んでいる?
さて、以上を理解した上で、トイレや空気感染でなぜ食中毒菌は感染しないのかという理由について説明しよう。
まず、空気中に細菌はどれぐらい飛んでいるのであろうか?このことについては別記事で微生物の数に関しての基本的な説明をしているのでご覧ください。
少し大雑把だが、次のような計算をしてみよう。目に見える埃のサイズは10μm四方程度である。細菌のサイズは1μm程度である。仮に動物や植物が腐敗していて、そこの表面にびっちりと微生物がいたとしよう。その表面から舞い上がった埃が飛んでいたとしても、最大で10×10=100細胞程度という計算になる。つまり埃が一つ口の中に入ったとしたら100細胞程度が入ってくる可能性がある。仮に10個の埃を同時にのみ込めば、1000細胞程度が体内に入る計算になる。
しかし、現実的に考えると、100細胞食中毒菌が空気中の埃から口の中に入るためには次のような条件が重ならなくてはならない。
- 空気中の埃が 極度に腐敗した動物や植物の表面から舞い上がること(動植物の死骸が放置しているなどの環境の悪い環境以外では考えにくい)
- 埃に付着している細菌の全てが食中毒細菌であること(この可能性はゼロに近い)
正確な計算をした実験例などは見つからないが、いずれにしても空気中から食中毒細菌が100細胞以上体に入ってくることは現実的にはほとんど想定できない注)。結果として空気中感染は起きないということになる。
食中毒菌が胃酸に強かったらどうなるか?
仮に食中毒菌が胃酸に強力な耐性を持っていたとしたらどうなるだろう?
上の計算で述べたように、食中毒細菌が100細胞も埃から入ることは想定できないにしても、数細胞程度が入る可能性は否定できない。この数細胞が胃酸で全く殺菌されないとすれば、私たちは空気中の埃を吸うことにより、頻繁に感染を起こしてしまうことになる。
つまり、本記事の冒頭の問いである、食中毒菌はトイレで移ったり、食卓でしゃべっていたら、うつるかという問いに関しては、イエスとなってしまう注1,2)。
そうなると、もはや食品微生物学という概念そのものが消滅する。サルモネラ菌や腸管出血性大腸菌は食品で感染する細菌ではなく、空気や人間同士の接触で感染する細菌と定義されることになる。このブログは食品を通じて微生物が人に感染するものを防除する学問、すなわち食品微生物学を扱っている。しかし、これらの感染が食品以外でも起きるのならば、この学問そのものが消滅してしまうということだ。
以上まとめると、食中毒細菌とは、胃酸に強くない細菌だからこそ食中毒細菌と定義されるということになる。
食中毒細菌は胃酸に弱いので、食品の中に入ってその数を増やして人間に体に入ってくる必要がある。
食品をバスに例えると、食品バスの中に、大量の細菌が乗りこんで、そのバスと共に人間の体に入ってくる必要がある。
埃程度の大きさではタクシー程度であって、バスにはならない。したがって感染を起こすことができないと考えることができる。
つまるところ、食品微生物学とは、次のように定義できる。
- 食品号というバスの中に如何に微生物をたくさん載せないようにするかという学問
ただし、例外もある
以上のように食中毒菌と定義されるものは、基本的には空気感染や人と人との接触によっては感染しないと整理できる。しかし、これにはもちろん例外も存在する。その例外とは、以下の2つである。
- 大腸菌O157(腸管出血性大腸菌)
- ノロウィルス
腸管出血性大腸菌は、患者との濃厚接触によりうつる場合もある。このことについては別記事にまとめてあるので、下記をご覧ください。
また、ノロウィルスの場合は、そもそもヒトが唯一の増殖宿主であるので、人から人へ感染をする。ヒトからノロウイルスの排泄量に関しては、下記の記事をご参考にしてください。
ノロウィルスの排出期間や感染力は無症状な調理従事者でも感染者と同じなので、うつる可能性あり
さらにノロウイルスの場合には、細菌と違って胃酸に強い。従ってごく少量摂食でも生き残る。従って、ヒトからヒトへの感染が起きる。ノロウイルスの基本的特性については、下記の記事をご確認ください。
食品微生物学に興味が湧いた方は、本ブログの基礎講座で学ぶと食品微生物学の基礎が身につきます。