食品産業においては、ヨーグルトや発酵食品などで活躍する善玉菌だけでなく、食品の腐敗変敗細菌として問題となる変敗乳酸菌の問題が多い。この記事では、食品の腐敗でさまざまな問題を起こす乳酸菌の問題について重点的に説明する。
※なお、乳酸菌とはそもそもどのような細菌なのか?その生理的な性質の特徴については、別記事で分かりやすく解説しています。
なぜカタラーゼ試験でグラム陽性菌の中から乳酸菌を見分けることができるのか?
さまざまな食品の変敗原因となる悪玉乳酸菌
チルド流通包装食品の普及に伴い、変敗乳酸菌による変敗事故やクレームが増加している。一般的に微生物の教科書では、野菜や肉の代表的な腐敗の原因となる微生物としてはグラム陰性菌のシュードモナスが主に記載されている。シュードモナスは、好気性細菌で、酸素があるところでは速いスピードで増殖する。従って地球上生態系で生物の死骸が腐敗する際に最初に活躍する細菌として代表的な細菌である。食品の世界でもまた、野菜や肉の腐敗では シュードモナスが中心的な役割を果たしている。
しかし近代の食品流通では、野菜や肉以外に、様々な加工包装食品が流通している。例えば、加熱加工が行われ、保存料や日持ち向上剤が添加され、真空包装され、そして低温流通される。このように近代の食品は微生物の増殖を防ぐために様々な方策が施されている。このような加工食品で腐敗を起こす細菌は シュードモナスではなく、多くの場合は乳酸菌となる。 一般の理解としては、乳酸菌はヨーグルトやチーズを作る良い細菌のイメージが強い。しかし、乳酸菌は人間にとって有用菌ばかりとは限らない。
乳酸菌が有害細菌である一番わかりやすい例が虫歯菌である。虫歯は乳酸菌の一つであるストレプトコッカスミュータンスによって引き起こされる。私たちの歯の根元で、この乳酸菌はシュークロースを結合させ高分子多糖類を形成することにより、かれらの住処(歯垢〉を形成する。このような住処の中で乳酸発酵をすると、乳酸は pH が低い酸性の性質であるため、歯を溶かし、虫歯をもたらす。
このように乳酸菌は人間にとって有用菌だけには限らない。実際の食品流通においても、多くの場合、乳酸菌は変敗原因菌として問題を起こしている。
下の図はハムを真空包装した場合の一般生菌数と乳酸菌の変化を示している。一般生菌数の変化と乳酸菌数の変化がほぼ同一である。すなわち真空包装したハムの腐敗フローラはほとんどすべてが乳酸菌であることがわかる。
上の図は、下記の論文からデータを抽出し、筆者がグラフにまとめたものである。
Samelis et al.
Selective effect of the product type and the packaging conditions on the species of lactic acid bacteria dominating the spoilage microbial association of cooked meats at 4℃.
FoodMicrobiology, 2000, 17, 329-340
また、下図はベーコンを同様にチルド流通した時の一般生菌数と乳酸菌の変化を見たものである。やはり一般生菌数と乳酸菌数はほぼ同数として推移している。つまりベーコンをチルド流通した場合の腐敗フローラも、すべてが乳酸菌によって占められているということが分かる。
上の図は、下記の論文からデータを抽出し、筆者がグラフにまとめたものである。
Samelis et al.
Selective effect of the product type and the packaging conditions on the species of lactic acid bacteria dominating the spoilage microbial association of cooked meats at 4℃.
FoodMicrobiology, 2000, 17, 329-340
乳酸菌によって腐敗するのは食肉製品だけではない。
水産食品も乳酸菌によって変敗を起こす。下の図はスモークサーモンを。チルド貯蔵した時の一般生菌数と乳酸菌数の変化を見たものである。やはりこの場合も一般生菌数と乳酸菌数がほぼ同じ数として推移している。すなわち、スモークサーモンの腐敗フローラはほとんどすべてが乳酸菌であるということが分かる。
上の図は、下記の論文からデータを抽出し、筆者がグラフにまとめたものである。
Leroi et al. Effect of Salt and Smoke on the Microbiological Quality of Cold-Smoked Salmon during Storage at 58C as Estimated by the Factorial Design Method. Journal of Food Protection, Vol. 63, No. 4, 2000, Pages 502–508
Open access
下の表はニシンのマリネが変敗した際の一般生菌数と乳酸菌数を表した表である。やはり一般生菌数と乳酸菌数がほぼ同数であることがわかる。つまりニシンのマリネの腐敗菌もやはり乳酸菌であるということである。
上の表は、下記の論文からデータを抽出し、筆者がグラフにまとめたものである。
Lyhs et al.
Lactobacillus alimentarius: a specific spoilage organism in marinated herring.
International Journal of Food Microbiology 64 (2001) 355–360.
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下の図は、明太子をチルド保存したときの腐敗菌層の変化を筆者らが調査したものである(未発表)。貯蔵日数が進むにつれて、細菌叢はLactobacillus sakeが優占種になっていることがわかる。やはり明太子の腐敗フローラも乳酸菌によって占められている。
乳酸菌は哺乳動物との関係が深いので、畜産製品での乳酸菌による腐敗は比較的理解しやすい。しかし水酸製品がなぜ乳酸菌によって腐敗を起こすのだろうか?その理由としては、以下の二つが考えられる。
- 河川水から沿岸海水への乳酸菌の流入と魚介類への汚染
- 陸揚げ後の工場での加工処理における二次汚染
乳酸菌は僅かにでも汚染してしまうと、次の項目で述べる理由によって、腐敗細菌の優占種と成り得る。このような理由から、水産食品でも乳酸菌が腐敗細菌として頻繁に出現すると考えられる。
なぜ乳酸菌がさまざまな食品の変敗原因になるのか?
なぜ乳酸菌が様々な微生物制御の工夫を施されている多くの食品の変敗原因になるのであろうか?この点について簡単に整理してみる。
乳酸菌はグラム陽性菌である
まず、第一に乳酸菌はグラム陽性菌であることである。グラム陰性菌は工場のようなドライな環境には比較的弱いが、グラム陽性菌の場合は、元々、乾燥した陸上環境に強い性質を持っている。このため、乳酸菌による工場内の汚染が起きた場合に長期間生き残ることになる。つまりドライに整備されたような工場環境でもしぶとく生き残りに2次汚染をしやすいという事が一つのポイントである。
※グラム陽性菌やグラム陰性菌の環境に対する抵抗性の違いについては下記の別記事をご覧ください。
グラム陽性菌と陰性菌の違いー概略の理解
グラム陽性菌とグラム陰性菌の違いードライとウェットでの生き残りやすさ
さらに、グラム陽性菌は、乾燥や凍結だけではなく、塩蔵や糖蔵に代表されるような低水分活性の食品の中でも、グラム陰性菌に比べれば、しぶとく生残し増殖をすることが可能である。
乳酸菌は酸を産生する菌なので、有機酸などでの制御が難しい
次に食品工場で生き残ったグラム陽性菌が包装 ラインで ソーセージやハムに二次汚染してしまったと仮定しよう。そもそも、乳酸菌は乳酸を作ることによって周囲の環境を酸性にする。周りの環境が酸性になりすぎると、乳酸菌の細胞は自身が生き残ることができない。そこで乳酸菌は自分で作り出した酸性環境から自身を防御するシステムを持っている。
この防御システムの代表的なものは、アミノ酸を脱炭酸をすることによってアミンを作り出すシステムである。例えばヒスチジンからヒスタミンを作る。実際、チーズとか発酵ソーセージなど乳酸菌によって 発酵される食品においてヒスタミンが蓄積しやすい。
アミノ酸からアミンを作り出す過程で細胞内の水素イオン1個をアミン分子へ取り込む。そして、アミンを細胞外に放出することにより、細胞内の過剰な水素イオンを除去している。
保存料や日持ち向上剤などでは、ソルビン酸や酢酸ナトリウムなど、有機酸のナトリウムやカリウム塩を用いる場合が多い。これらの制御剤は pH を低くすることによって、非解離状態、すなわち疎水性になり、微生物の細胞の中に侵入しやすくなる。細胞内に侵入したこれらの化合物は再び解離し、水素イオンを細胞内に放出する。
※ソルビン酸や酢酸ナトリウムなどの有機酸が微生物の増殖を抑制するメカニズムについては、下記の記事をご覧ください。
微生物の増殖および死滅とpHの関係
乳酸菌は、上に述べたように過剰な細胞内水素イオンを排除する強力な仕組みを持っている。したがって、酢酸ナトリウムや乳酸ナトリウムなどの日持ち向上剤はもちろんのこと、ソルビン酸やプロピオン酸などの有機酸の保存料などによっても、乳酸菌の増殖は抑制しにくい。
乳酸菌は真空包装やガス置換包装では制御できない
また、 ソーセージハムを真空包装した場合、好気性細菌は増殖することができない。増殖が可能なのは通性嫌気性のグラム陽性菌に限定される。乳酸菌はこのなかのひとつに含まれる。さらに欧米ではソーセージやハムなどを二酸化炭素を封入したガス置換包装で 包装するケースが多いが、乳酸菌は高濃度の二酸化炭素にも耐性であることが知られている。
乳酸菌の多くは低温で増殖が可能な菌である
次に流通過程を考えてみよう。 真空包装やガス置換包装したソーセージやハムは普通は低温流通される。
低温流通で増殖できる細菌は低温細菌と呼ばれる低温増殖菌に限定される。黄色ブドウ球菌などは低温流通食品で増殖することはできない。
一方、乳酸菌の中庭10°c以下の低温で増殖できるものが多い(例、下図)。
上の2つの図は、下記の論文のデータから作図をしたものである。
Hamasaki, Y. et al., Behavior of psychrotrophic lactic acid bacteria isolated from spoiling cooked meat products. Appl.Environ.Microbiiol., 69, 3668-3671(2003).
この論文はPubMed Central(PMC)で無料公開されています。
乳酸菌は見方にすれば頼もしいが、敵にすると手強い
以上のように、乳酸菌はさまざまな環境に対して安定的に耐性な耐性を持つ。だからこそ、人類は発酵食品で乳酸菌を使ってきたとも言える。
乳酸菌が多くの発酵食品のスターターとして用いられたり、 プロバイオティクスに用いられる理由は、乳酸菌が環境に対する様々なストレスに強いということもにもある。このように、乳酸菌が味方にした場合には、頼もしい微生物と言える。もし仮に乳酸菌が環境に対して弱いならば、発酵食品の歴史はなかったであろう。
しかし、敵に回した場合、これらの乳酸菌の強みが、食品の腐敗制御という観点からは、手ごわい相手になってしまうということである。
なお、筆者は食品企業の品質管理担当者から変敗乳酸菌の増殖を制御する保存料や日持ち向上剤について質問されることが多い。しかし、上述してきたように、変敗乳酸菌を制御するのはなかなか手ごわい仕事である。このことに関しての関連記事は別記事でまとめたのでご覧ください。