チョコレートは微生物学的には安全性が高い食品です。ほとんどの製品は水分活性が低いため、常温で数ヶ月から1〜2年保存が可能です。しかし、別記事で紹介しているように(2022年4月に、ベルギー工場で生産されたチョコレートを原因とするサルモネラ菌食中毒がEUで発生)、サルモネラ菌による食中毒が稀に発生することがあります。なぜチョコレートでサルモネラ食中毒菌が起きるのでしょうか?これまでにもチョコレートによるサルモネラ菌食中毒が起きていたのでしょうか?この記事は、チョコレートにおけるサルモネラ菌食中毒のリスクについてまとめます。
別記事で紹介した2022年のベルギー工場でのチョコレートによるサルモネラ菌アウトブレイクついて紹介しました。
2022年のアウトブレイクについては下記の記事をご覧ください。
チョコレートを原因とするサルモネラ菌食中毒がヨーロッパで発生
また、過去50年間に、チョコレート製品の摂取に関連したサルモネラ症の集団発生が、世界では複数報告されています。1970年にスウェーデン、1973に米国およびカナダ、1982/1983年に 英国、1986年にカナダ、1986年にノルウェー、フィンランド、2001年に ドイツ、などで起きています。
この記事で、過去にチョコレートによる最も大規模な食中毒事件となった2001年のドイツの事例を紹介します。
International outbreak of Salmonella Oranienburg due to German chocolate
BMC Infectious Diseases 2005, 5:7 doi:10.1186/1471-2334-5-7
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2001年ドイツでおきたチョコレートによるサルモネラ菌の国際的アウトブレイク
2001年、ドイツで生産されたチョコレートによって、 EU諸国におけるサルモネラ菌のアウトブレイクが発生しました。
アウトブレイクの概要
2001年、ドイツ国立参照センター(NRC)は、10月にサルモネラ菌(Salmonlla Oranienburg)による食中毒事例が増加していることに気づきました。食中毒患者の年齢中央値は15歳(範囲:0〜92歳)、240人(52%)が女性でした。
患者の聞き取り調査を行ったところ、チョコレート摂取の情報と食中毒の発生との間に関連性が強いことが分かりました。チョコレートをどこで買ったかについて情報を得た34人のうち、21人(62%)がA社のチェーン店Xで購入した報告しました。
このチョコレートメーカーは、ドイツ以外のEU諸国に広く製品を輸出していました。そこでドイツ当局は、EUにおける国際的な情報ネットワーク(Enter-ne)によって、EU全体のサルモネラ食中毒の状況を緊急調査しました。
最初に回答を寄せたのはデンマークでした。デンマークでは、10月18日から12月10日までに12例のサルモネラ菌(Salmonella Oranienburg)による食中毒が報告されていました。Enter-netの依頼を受けた時点で、すでに患者へのインタビューが行われており、この時点で、デンマークの調査員は、ドイツのアウトブレイクを知りませんでした。しかし、チェーン店Xで購入したドイツのチョコレートがデンマークの集団発生の原因であると独自に疑いを持っていました。なぜなら、大半の患者が、ドイツ産メーカーのチェーン店Xでチョコレートを購入したとアンケートで回答していたからです。
その後、オーストリア、ベルギー、フィンランド、スウェーデン、オランダ、カナダなど、他の国からもS. Oranienburgの感染者数が増加したことが報告されました。これらの国々で患者の聞き取り調査を行ったところ、それぞれ複数の患者がドイツのチョコレートを食べたこと回答しました。カナダ、フィンランド、スウェーデンでは、回収されたチョコレートの検体からS. Oranienburgの陽性反応が出ました。
ドイツ国立参照センターはドイツ,カナダ,チェコのチョコレートから分離された15株をPFGE解析注)しました。チョコレート15株はすべてアウトブレイク時期のヒト分離株と区別のつかないPFGEプロファイルを示しました。
注)PFGE解析とは、食中毒菌の原因を特定するための分子疫学的解析手法。詳しい説明を知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
病原菌や食中菌の感染ルート把握のための分子疫学解析手法(菌株の識別法)のすべてをわかりやすく解説します
検査されたチョコレート中のサルモネラ菌数は、1グラムあたり1.1〜2.8個と推定されました。
12月18日、患者の食べ残しのチョコレートからS. Oranienburgが検出されたことを受け、A社は直ちに警告を発し、特定の製造番号を持つ同ブランドのチョコレートをすべて回収しました。他のヨーロッパ諸国やカナダでも速やかに市場から撤去されました。
チョコレート会社の工場の状況と対
- A社の生産施設は最新の生産方式を採用していました。
- ドイツの現地食品安全局の現地査察では、A社の生産施設では衛生上の欠陥は観察されませんでした。
- A社の社内自主検査では、社内のチョコレートと原材料のサンプルは陰性でした。ただし、原材料のサンプルは、ごくわずか(n = 10)しか実施していませんでした。
- A社の社内自主検査では、環境サンプルは調査していませんでした。
結局、汚染源や汚染箇所は特定されませんでした。
このアウトブレイクでは、次の2つの可能性のいずれかであったのかについては解明きませんでした。
- サルモネラ菌が加熱工程で生残したのか?
- 加熱工程以降でチョコレートに2次汚染したのか?
したがって結局、この食中毒事件の後にも同社はチョコレート製造の安全性を高めるための長期的な予防策を立案、実施することができませんでした。
チョコレートのアウトブレイクにおける発生源の調査には、汚染の可能性のあるポイントを特定する可能性を高めるために、生産環境における広範なサンプリングが含まれる必要があると、この教訓から結論されました。なお、サルモネラ菌は、食品製造環境工場内でバイオフィルムとして、しぶとく生き残ります。このことに関しての記事は下記をご覧ください。
サルモネラ菌の食品製造工場の乾燥ステンレス上での生存期間は?
また、食品製造工場における微生物の環境モニタリングの重要性については、近日中に別記事で改めます。
チョコレートによるサルモネラ菌アウトブレイクの特徴
過去に発生したチョコレートを原因とするアウトブレイクにに共通しているのは、次のような点です。
- アウトブレークが長期間にわたり、地理的に広く拡散し、多くの人(主に子供)が感染する
チョコレート関連のアウトブレイクが長期化するのは、チョコレートの保存期間が長いこと と、これらの製品でサルモネラが長期間生存することの両方を反映していると思われます。
上のグラフは、上に紹介したドイツのチョコレートのアウトブレイク事件に関する論文のオープンアクセス許可(CC BY 2.0)により、論文の図をそのまま掲載しています(ただし和訳)
- アウトブレイクでチョコレートから回収されたサルモネラ菌はごく少数であり、感染量が非常に少ない
ドイツの集団発生における1グラム当たりのS. Oranienburg細胞数の推定値は、1.1〜2.8でした。ただし、上記論文では、チョコレート製品中に菌が偏在していたことや、もっと多くのサルモネラ菌が存在していたチョコレート製品が検査されなかった可能性も否定できないとしています。
しかし、アウトブレイクでチョコレートから回収されたサルモネラ菌はごく少数であり、感染量が非常に少ないことについては、別のチョコレートの食中毒事例でも報告されています。カナダの事例です。
1986年から86年にかけて、カナダで29例、米国で4例のサルモネラ菌のアウトブレイクが確認され、ベルギー産の金箔入りチョコレートコインが原因であることが判明しました。食中毒の原因製品として回収されたチョコレートの4サンプルを最確数(MPN)法で定量分析した結果、100gあたり4.3〜24.0個のサルモネラ菌(Salmonella Nima)しか検出されませんでした。このレベルの汚染と、一次感染者が約25gのチョコレートを摂取したことから、少量のサルモネラ菌が臨床症状を引き起こしたことが示唆されています。
なぜチョコレートにおけるサルモレラの食中毒が非常に少ない菌数で感染を引き起こす可能性があるかについての原因については明確に分かっていません。
一般的にはサルモネラの最小発症菌量はこれよりずっと高い数字になります。ただし、サルモネラ菌の発症菌量は、ボランティア実験のデータと、実際のアウトブレイク時に回収された食品に残されていたサルモネラ菌からのデータとでは、大きくその値が異なります。ボランティア実験のデータでは、多くの教科書に記載されているように、サルモネラ食中毒の発症菌量は、発症菌量は105 cfu程度以上になります。しかし、実際に食中毒をが起きた食品中に残された菌数のデータからは、わずかす数細胞でも食中毒が起きうるとの見積もりもあります。サルモネラ菌の発症菌量については同時に食べる食品が胃の酸性条件からサルモネラ菌を保護する可能性も推測されています。
サルモネラ菌の発症菌量についての記事は別記事でご覧ください。
なぜ、腸管出血性大腸菌がいる生レバーは禁止で、サルモネラ菌がいる生卵は禁止されていないの?
- チョコレートは水分活性が低いため(aw:0.4-0.5)サルモネラ菌は増殖しないものの、長期間生存できる。
Komitopoulouら(2009)は、様々なチョコレートやその他の菓子製品の製造に使用される原材料の乾燥環境におけるサルモネラ菌の生存能力を知るために、ココアバター油、粉砕ココアおよびヘーゼルナッツ殻、ココア豆、アーモンドカーネルへのサルモネラ菌の生存実験を行っています。
乾燥マトリックスにサルモネラ菌を接種し、5℃および21℃で21日間保存した結果、すべての菌株がすべての乾燥マトリックスで生存していました。すなわち、サルモネラ菌は乾燥原材料で3~4週間の保存に耐えることができることが示されています。
一方、チョコレートは水分活性が低いため(aw:0.4-0.5)サルモネラ菌は増殖することはありません。水分活性と微生物の増殖についての基礎を確認したい方は下記の別記事をご覧ください。
したがって、チョコレートの流通時にサルモネラ菌がチョコレート内で増えるということは考えられません。
なおチョコレートと、同じく低水分活性でサルモネラ菌の増殖が想定できないにもかかわらず、大規模な食中毒を起こした製品としてピーナッツバターが挙げられます。ピーナッツバターによるサルモネラ食中毒は米国で何度も大規模に発生し、時の大統領のオバマ大統領が声明を発表したほどです。この事件一連については別記事で整理していますので、ご覧頂くと良いと思います。
チョコレート工場におけるサルモネラ菌の管理ポイント
以下にこれまで分かっているチョコレート製造環境とサルモネラ菌のリスクに関する大まかな知見を整理しておきます。
- 原料のサルモネラ菌汚染
チョコレートにサルモネラ菌を持ち込む可能性のある原料はカカオ豆だけではありませんが、これまでチョコレートにより発生したいくつかのアウトブレイクのい潜在的原因として考えられています (Craven et al., 1975, Gästrin et al., 1972)。ブラジルでの研究では農場で保管されていた乾燥カカオ豆の 3%からサルモネラが、48%から大腸菌が検出されたとの報告もあります (Nascimento et al., 2010)。
また原料のカカオ豆以外にも、ミルクパウダー、ナッツ類、卵由来のものなどが、すでにサルモネラ菌の集団発生に関与している場合もあります(Bell & Kyriakides, 2002)。
- カカオ豆の焙煎工程
ICMSF( 2011)によると、ココア・チョコレート加工において、カカオ豆の焙煎はサルモネラ菌の減少に関与する主な工程です。 Nascimentoら(2012)は、カカオ豆の熱風焙煎中にこのサルモネラ菌の耐熱性を観察し、D110℃が4.8~8.9分、D140℃が約2.5分であることを示しています。ただし、原料におけるサルモネラ菌数および焙煎工程におけるプロセス・パラメータによっては、ココアの焙煎によりサルモネラ菌完全殺菌が保証できない場合もあります。低水分活性食品におけるサルモネラ菌の耐熱性が高いことにも注意が必要となります。低水分活性食品におけるサルモネラ菌の耐熱性の上昇については、次週、別記事で整理したいと思います。
- チョコレート工場でのサルモネラ菌の二次汚染
チョコレートの製造において、焙煎工程によって通常はサルモネラ菌は殺菌されます。しかし、ナッツ、アーモンド、ドライフルーツなどの汚染された原材料の使用により、加工後にサルモネラ菌が再汚染される可能性があります。
その他、製造工場の各所での二次汚染も考えられます。上述したようにチョコレート中におけるサルモレラの菌数が低くても食中毒を起こす可能性があるので、工場における僅かなサルモネラ菌の二次汚染でも、深刻な影響を与える可能性があります。 したがってチョコレート工場の微生物学的な衛生管理状態が最終製品の安全性に重要な役割をはたします。
Cordier (1994)は、チョコレート工場におけるサルモネラ菌の二次汚染を防ぐためのチョコレート工場の衛生管理について詳細に解析した論文を発表しています。
- 防止対策
チョコレート製造工程において、焙煎のプロセスが正しく機能していれば、一般的には原料のサルモネラ菌は効果的に不活性化されます。したがって、チョコレートに添加する追加原料由来のサルモネラ菌なども含めて、2次汚染の防除が最も重要なポイントとなると考えられます。しかし、チョコレートに混入する可能性のあるサルモネラ菌数は極めて低く、その分布も稀であることが想定できます。したがって、製品の微生物学テストはあまり効果的ではないかもしれません。
チョコレートによるサルモネラ菌のアウトブレイクの発生を防ぐ為には、やはりチョコレート製造工場環境の日常的な衛生管理、すなわち、工場環境の微生物モニタリングの実施が重要となるでしょう。ICMSF (2011) は、チョコレート製造工場における工程内サンプル(製品接触面からの残留物)、加工環境および最終製品について、腸内細菌科細菌の測定を推奨しています。加えて、サルモネラ汚染の可能性が想定できる工場内の広範な箇所について、定期的にサルモネラ菌の汚染を確認しておく必要があるでしょう。
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