本ブログでは、米国やEUを中心に進展する食中毒菌対策の最前線を追っています。2013年、EU加盟国では全ゲノム解析(WGS)によるルーチンサーベイランスを導入した国はゼロ。しかし、2017年にはその数が20カ国に増え、急速に普及しました。そしてついに、EU全体でサルモネラ、リステリア、腸管出血性大腸菌、カンピロバクターの4大食中毒菌に対してWGSを義務化する法案が発表されました。18ヶ月後には施行され、EUの食中毒菌対策が新時代に突入します。

EU全体の地図

これまでの経緯

 食中毒菌の疫学解析における全ゲノム解析の導入は、米国が2013年に「ゲノムトラッカー・プロジェクト」として開始しました。EU諸国でも、フランス、ドイツ、英国などが同時期に一部の食中毒菌で全ゲノム解析を導入し始めました。2013年時点では、EUでこの技術を活用している国はありませんでしたが、2017年には20カ国にまで増え、急速に普及しています。すべての食中毒菌に導入されているわけではないものの、一部の食中毒菌に限定して利用されるケースが増えています。

2025年、EU全体で義務化へ

 このように全ゲノム解析の普及が急速に進む中、欧州委員会は、代表的な食中毒菌4種について、EU加盟国全体で臨床株および食品分離株の全ゲノム解析を義務化する方針を示しました(2024年8月21日

具体的には、サルモネラ菌、リステリア菌、カンピロバクター、腸管出血性大腸菌の食中毒事例において、臨床株および食品・環境分離株(食品、動物、飼料、関連する環境サンプル)から採取することが義務から少なくとも1株の全ゲノム解析を行うことが義務付けられます。臨床株に関しては、各国の衛生当局が欧州疾病予防管理センター(ECDC)にデータを送信し、食品・環境分離株については欧州食品安全機関(EFSA)に報告されます。EFSAは、食品/環境分離株のデータとECDC保有の臨床株の全ゲノム解析データを比較し、疫学解析を通じて原因食品の特定を迅速に行うことが可能になります。

フローチャート

 これまでは、ドイツ、フランス、英国などが積極的に全ゲノム解析を実施してきましたが、今回の法案により、EU加盟国全28カ国の衛生当局が、国内で発生した食中毒事例に対して全ゲノム解析を行う義務を負うことになります。

 欧州委員会は、各国の新規則に適応するのに必要な時間と技術的・財政的な考慮し、義務化までに18ヶ月の猶予期間を設けています。この間に、各国が実施体制を整える必要があります。

書類を見て動揺する東ヨーロッパ研究員

法案(抜粋)

第1条
食品媒介アウトブレイクに関連した食品媒介病原体の分離株の収集と全ゲノム配列決定(WGS)

  1. 食品由来の集団発生の調査を担当する管轄当局は、サルモネラ・エンテリカ、リステリア・モノサイトゲネス、大腸菌、カンピロバクター・ジェジュニおよびカンピロバクター・コリの分離株を、利用可能な分析情報や疫学情報に基づき、これらの病原体が食品由来の集団発生に関連している、または関連が疑われる場合に、遅滞なく収集しなければなりません。この分離株は、管轄当局の加盟国または他の加盟国における、集団発生調査の過程で、疑わしい食品、動物、飼料、または関連環境から採取されたサンプルから得られたものです。
  2. 所轄庁は、欧州議会および理事会規則(EU)2017/6255 の第 37 条に言及される公的検査機関において、本条第 1 項に言及される収集された分離株の少なくとも 1 つについて WGS を実施しなければならない。
  3. 入手可能な場合、食品・飼料事業者は、アウトブレイクに関連する、または関連が疑われる場合、管轄当局の要請に応じて、第1項で言及される病原体の分離株と、自らの調査によるWGSの関連結果を、第2条(2)で言及される関連データとともに、管轄当局に提出しなければならない。

第2条
WGSの結果の伝達

  1. 第1条で言及される管轄当局は、第1条(1)で言及されるサルモネラ属菌、リステリア属菌、大腸菌、カンピロバクター・ジェジュニおよびカンピロバクター・コリの分離株について実施されたWGSの結果を、過度の遅滞なく当局に送付するものとする。
  2. 第1項のデータには、以下の関連データを添付しなければならない:
    (a) 配列が作成された分離株のゲノム配列および分離株が得られたサンプルの一意の参照番号;
    (b) 病原体の種類;
    (c) 分離株が由来する食品、動物種、飼料、環境についての記述;
    (d) サンプリング日;
    (e) サンプリングの加盟国;
    (f) 食品および飼料のための緊急警報システム(RASFF)で通知された場合、分離株に関する通知への参照。

第3条
発効日および適用日

この規則は[この規則の発効日から18カ月]から適用される。

まとめ

 米国では早くから全ゲノム解析プロジェクトが進められていましたが、いよいよEU全体でも、統一的な全ゲノム解析を活用した食中毒の疫学解析が実施される時代が到来しようとしています。

 一方、日本では2024年10月時点で、食中毒原因菌に対する全ゲノム解析の国家的な取り組みは確立されておらず、主に研究機関や地方自治体が個別にプロジェクトを進めています。一部の研究では次世代シーケンサー(NGS)を用いた解析が行われ、特定の食中毒事例において全ゲノム解析が適用されることもありますが、米国やEUのような国家的なシステムとしてはまだ整備されていません。

今後、日本でも食中毒原因究明の疫学解析分野における全ゲノム解析の活用が期待されています。

スクリーンを見て考え込む厚生労働省職員

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